紫電改に会いたい | ひでちゃん のブログ

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〇自分の為の日記です。 〇2017年・夏フェスタ参加にし、滝翼からTHE ALFEE & Takamiyに戻りました。 〇滝翼事はたまに。〇アメンバー限定記事は個人情報を含むため隠してます。

探していた記事が、ようやく見つかりましたニコニコ
靖国神社で貰った物と一緒に入ってた!
↓この記事も。 

↓探していた記事。
24年も前でした。

この記事がきっかけで『紫電改』を知りました。
その後、『還ってきた紫電改』という書籍を購入。

昔、どこかの球場に書いてたな…汗 育毛剤の名前だったかな真顔

以来、ずっと行きたかった場所。
その願いが、11月に叶いました。

給油の為に立ち寄ったスタンドから、観自在寺まで3分。 紫電改展示館まで7分という事で、寄ってくれる事に爆笑

ぐーぐるまっぷで見ていた場所に、実際に向かっている。  嬉しかったおねがい


紫電改展示館に入り、検温等を済ます。 もしもの時の為に連絡先も記入。

初めて見た紫電改は、想像してたより大きかった!
先ずは紫電改に手を合わせ、心より一礼。


この飛行機に搭乗されていたかもしれない6名の方々。


1978年11月、愛媛県城辺町の湾に沈んでいた機体を地元のダイバーさんが発見。
翌年7月14日に引き揚げ。
ほぼ原型をとどめたまま海底から還ってきました。

書籍によると 紫電改が墜落したのは、1945年7月24日。 

日付は、うちのじいちゃんの誕生日。  そして高松の林飛行場が攻撃され、じいちゃんの身体に銃弾が貫通した日。(余談ですタラー)

曖昧だった墜落日でしたが、地元の女性の証言で確かなものになりました。

唯、この飛行機の搭乗員は分からない。
引き揚げの日、ご遺族・関係者の方々は どのような思いで見守っていたのでしょうか。

自分の身近な人で言えば、おじさん(祖父の弟)が戦死しています。 
墓石にはマニラで戦死とありますが、本当にマニラかどうか…。戦死した場所が分からないし、遺骨もない。
おじさんと紫電改の搭乗員が重なってしまう。
誰か特定出来なくても、大切な人が戻ってきたように思いました。


正面から紫電改を見て、そのまわりの展示物や写真を見てまわりました。

紫のマフラーが展示されてました。 
無理言って寄ってもらったから、ゆっくり見れなくて。  ついつい、スマホで撮影ぐすん
ビデオ映像も見たかったえーん


後になって、紫のマフラーを寄贈した笠井さんが
こちらの記事に載っている方と判明びっくりアセアセ




1997年の記事と比べると、展示されてる品が増えてました。
関係者皆様の御協力のおかげでしょうね。

以前にもらったパンフレット。これに載ってた展示館内。

増えてます。



紫電改はジュラルミンで作られてると。
ジュラルミンの湯たんぽがそばに、展示されてました。
 私の中でジュラルミンといえば、弓道で使ってた矢。

2階から見た紫電改。
大きくて、スマホの画面に収まらない。



また紫電改の足元には、慰霊の祈りを込めた千羽鶴。


海底から引き揚げられたプロペラもありました。
ホントに大きいね。


スマホの電池の都合でデジカメと両方で撮影。
デジカメの画像は拡大できないのがツラい。


これ程の展示館なのに、入館料無料。
何かを購入して、少しでも紫電改等の保存の為に!
そう思って、こちらの品を購入。  僅かでも役に立てるのかな…



お煎餅とマウスパット
f(^_^)
何が良いか分からず。
折鶴も折りたかったけどね…



紫電改に会って、1ヵ月半が過ぎました。
いまだに忘れられず。

暫く開いてなかった書籍を読み返しました。
全部じゃないけど、この書籍にも 笠井さんの御名前がある事に気付きました凝視






Twitterで知った事です。
とある方の元から、紫電改引き揚げ時の写真が出てきました。
その方のblogを教えてくれた方に感謝します。

そして、フォロワー様。
紫電改の事をはじめ、戦争の記憶と記録を綴ってくだり、ありがとうございます。


戦争の悲惨さを知ったのは、『かわいそうな象』の話が初めてです。
そのあと、教科書に載っていた『ガラスのうさぎ』。
中・高学生時代の読書感想文は、原爆体験記や枯葉剤の本。

1996年に父が脳梗塞を発症し、生死の間をさ迷った事がきっかけで特攻隊を知る。
その件は、どこかに書いたような…  ('_'?)
以来、特攻隊関係の書籍を買い、新聞記事は切り抜き。  テレビ番組も録画保存。
それでも、知らない事がありすぎる無気力


戦後76年を迎え、戦争を体験された方が少なくなりました。  体験された方々から直接話を聞く機会は、あと少しでしょう。
  私が戦争体験を直接聞けたのも2~3人だけ。
実際に聞くのと、書籍やテレビで見聞きするのとは
どこか違いました。  

紫電改は戦争とは何かを、
無言で語りかけてくるようでした。

たったひとつの命を奪い合いと、言った方がいました。


長くなりましたが、読んでくださり ありがとうございます。