おはようございます。

 

もう9月なんですね。まだまだ暑いので秋の気配はないですが、今年も残り4か月。お盆が過ぎるとすぐにお正月が来るように毎年思います。

 

正直なところ、金融営業時代の話を振り返ってみようと書き始めた頃はスラスラ書けて結構楽しかったんですが、最近、話が重くなってきたからか、ちょっと楽しくないです。

 

きっと読んでくださっている方も楽しくないと思います。

 

ごめんなさい。そしてお読みいただきありがとうございます。

 

金融商品についてをメインの話にするつもりがどんどん話がそれてしまいましたが、ここまで来たら退職まで書ききろうと思っていますのでもうしばらくお付き合い下さい。

 

2か月の休職後、産業医の面談を受けて、職場復帰となりました。ただ、お客様のところへの訪問はもちろんダメで、初めの1週間は午前中、次は3時まで、次がようやく定時までの出勤。

 

誰と会話するわけでもなく、特に仕事が与えらるわけでもなく、辛い時間でした。

 

こんなことしてたらまた病気になるわって思ったほどです。

 

復職したのは2月。3月の人事異動で転勤を希望しましたが、病み上がりの私の異動は難しいと言われていました。

 

ところが、3月の異動で私は和歌山市内の店舗へと異動になりました。

 

とにかく、あのN支店の空気感が当時の私には苦しかったので、異動出来たことはうれしかったです。

 

しかし、喜んだのもほんの一瞬。

 

田舎ののんびりした支店と和歌山市内の支店では時間の流れるスピードも全然違うし、私のようにそもそも事業性の知識がない担当者ではお話になりませんでした。

 

このH支店の支店長は、仕事が終わらないなら何時まででも仕事してくれたらいいよ(言い換えると仕事が終わらないなら何時まででも帰らなくていい)っていうタイプだったので、家に帰ると9時という生活がしばらく続きました。

 

通勤も1時間かかったので、8時まで仕事すると当然家に着くと9時でした。

 

この時まだ息子は小学校6年生。

 

子供が待ってるから帰りますなんて言える空気でもないし、とにかく頑張らないとと必死でした。

 

でもそんな生活続けられるはずもなく、身心ともにまたもやボロボロでした。

 

前の支店でつまづいてしまっただけに何とか頑張りたい気持ちが空回りしていたんですが、その時は必死でしたから、もっと頑張らないとと思う気持ちにつぶされる感じでした。

 

でも、私ももう無理だと思っていたし、支店長ももう無理だろうと思っていたようです。

 

休職の件もあったし、もう退職しようと思いました。でも、息子と2人なのを上司も分かっていたので、次の仕事も決まっていない状態で辞めるって言われても、そうかとは言えないって言われました。

 

本当にその通り。

 

最終的に、私の希望は息子ともう少し一緒にいる時間のとれるところへ異動させてほしいと伝えました。

 

そして、異動が出て驚きました。

 

言葉を失いました。

 

業務出向で、グループ会社の保険の代理店へ行くことになりました。

 

確かに家から30分で通える場所に事務所はありましたが、銀行の外に出るつもりなんかなかったし、ちょっと受け入れ難い異動でした。

 

あ、これはもう辞めろってことだなとも思って、すぐにとはいかないんで、しばらくしたら辞めようと思って、保険の代理店へ行きました。

 

結果的には意外と居心地がよくてそのまま4年半勤めることとなり、さらにはのちに銀行を退職して、保険会社へ転職することとなるので、この異動は私にとっては大きなターニングポイントでした。