おはようございます。

 

相続対策での保険を売っていたころ、銀行全体で訪問営業部隊とは別に店頭営業部隊が発足していました。資産運用アドバイザーなんていう素敵な名前もついていました。

 

窓口に来店するお客さんに運用商品を販売することを専門とする仕事で、中堅の女性行員が選ばれました。

 

初めは規模の大きな店舗に導入されましたが、全店展開していくこととなり、私も異動と共にこの資産運用アドバイザーとなりました。

 

私が着任した支店は小さな支店で支店に営業課がなかったため、初めての資産運用アドバイザーですが指導、相談する相手がいない心細い状況でした。

 

とは言っても、基本的にマイペースに仕事がしたい私にとってはのびのび仕事が出来る、非常にいい環境でした。

 

この頃には若干相場も安定し、投信も保険もバランスよく販売出来ていたような気がします。

 

店頭に来店されるお客様に新規で販売したり、投信を保有されているお客様に電話して来店誘致したり、それまでの訪問営業とは違う仕事にやりがいも感じていました。

 

本当に運用に興味がある人は自分で証券会社等に行くんでしょうが、やっぱり証券会社は敷居が高い。

 

なので、運用に興味はあっても始められない人がこの頃は意外と多かったんです。

 

経験のないお客さんに運用について分かりやすく伝える、興味をもってもらう、この部分にやりがいを感じました。

 

さらに、大口で購入してくれるお客さんも数名抱えていたので、目標が達成出来ないこともなく、おそらく金融営業時代一番心穏やかに仕事していたと思います。

 

でも、残念ながらここでの仕事は1年9か月という短い期間で終わってしまいました。

 

銀行営業の最大の問題はとにかく転勤が多かったことです。3年ルールというものがあって、3年を超えて同じ支店で働くことが出来ませんでした。営業担当者は特にこの3年ルールは絶対なので、お客さんとも長いお付き合いは出来ませんでした。

 

資産運用アドバイザーとして実績もあげ、仕事にもやりがいを感じてはいましたが、次の異動で私は再び訪問営業部隊へと戻りました。

 

そして、ここで私の大きな1回目のつまづきがありました。

 

3月の人事異動前に人事部から訪問営業に戻ることを打診されました。当時私は中級職でしたが、受ければ上級職に昇進もさせてくれるとのことでした。

 

ただ、4月から息子が小学生になるため、このタイミングで自分の仕事の環境を変えることには大きな抵抗があり、当時の支店長とも相談しお断りしました。

 

再度営業に戻る気持ちはありますが、息子が小学生になるこのタイミングではなく、もうしばらくしてからにしてほしいと人事には伝えてもらいました。

 

3月の異動に私の名前はありませんでしたが、まさかの3か月後の6月の異動で衝撃の異動となりました。

 

それでも、どこかで次の3月には昇進出来ると思っていましたが、結局2年見送ることとなりました。

 

仕事にはやりがいを感じていましたが、会社に対して大きな不信感をもつことになったのがこの異動でした。