「・・・お兄ちゃんのバカ・・・」
時は葉月20歳(大学2年生)、花月16歳(高校1年生)の冬、
2月14日、バレンタインデーの夜。
花月は自分の部屋のベッドで、枕を抱えてうずくまっている。
そして・・・
「・・・私のバカァ・・・どうしよう・・・」
絶賛後悔中だった。
時は少し戻って今日のお昼頃。
今日は休日だが、
葉月は所属している学童保育のボランティアサークルに参加してから
そのままカフェのバイトに行くと言っていたので、
夜になるまで帰ってこない。
バレンタインデーという日柄、
花月もキッチンを占領してチョコ作りに励んでいる真っ最中だが、その顔色は優れなかった。
はっきり言って、花月はバレンタインデーが嫌いだ。
その理由はいくつかあるが、まず1つは・・・
「うっ・・・なんか苦い・・・また焦がしたのかな・・・
それともお砂糖足りなかった・・・?」
器用な兄とは対照的に、花月は自分が不器用で料理が苦手という意識があった。
そんな風にはとても見えないとよく言われるし、
世間一般の同世代の女子高生と比べれば、
家庭料理なんかは比較的出来る方なのだが、
何せ兄が何でも出来てしまうハイスペックな人間だ。
普段の料理ももちろん兄が作った方が見た目も綺麗だし、味もおいしい。更に手際も格段に上。
そうなるとそういうことにどうしても引け目を感じてしまう。
先ほどから作っているブラウニーも、
そんな自信のない中作る上に、あげる相手がその兄なのだからと余計に自信はなくて、
なかなか納得のいく出来にはならず今焼き上がったので既に3回目だった。
1回目は生地があまり膨らまずペチャンコで焼き上がった感じがして失敗。
2回目はなぜか少し生地がベチャッとしている感じがして失敗。
そして今の3回目。
実は客観的に見ればどれもそこまでの失敗作ではないのだが、花月にとっては失敗作だった。
それらは既に生ゴミ処理機の中に捨てられている。
「材料・・・次で最後かなぁ・・・」
残った薄力粉やチョコレートを見ながら、花月は溜息をつくが・・・
(・・・っだめだめ、お兄ちゃんにあげるんだから。一生懸命、心をこめて。)
心の中でよし、とそう思い直して、再びチョコレートを刻み始めた。
花月はこれまでもバレンタインで葉月にチョコレートを贈ったことはあったが、
中2までは母親が存命だったため、一緒に作ってもらっていて失敗知らずだった。
去年の中3のバレンタインは、
母が亡くなり、自身の高校受験も控えていたため買ったチョコレートで済ませてしまった。
(それでも当然葉月は喜んでくれたが)
だから、今年は自分だけの力で作った手作りを渡す初めてのバレンタイン、特別なのだ。
今度は絶対に成功させよう、と強く思って花月はキッチンに向かうのだった。
作り始めて一時間後・・・。
「ふぅ・・・これなら・・・なんとかいいかなぁ」
切った端っこを味見して、花月は息をつく。
少なくとも今までで一番味も見た目も良い。
4度目にしてようやく。お昼過ぎに作り出したのにもう夕方だ。
「早く包まなきゃ・・・」
買ってあったラッピング材料を使ってラッピングし、同封するのは手書きのメッセージカード。
「・・・よし。出来たっ」
ラッピングも得意ではないから少し不格好に見えるけれど、何とか出来た・・・。
花月は達成感と安堵で、真剣だった眼差しからやっと表情が緩む。
夕食の後に渡そう・・・そう思って、
キッチンの滅多に使わない調理器具がしまってある棚の中に隠した。
「さ、次は夕飯っと・・・」
バイトは6時にあがりと言っていたから恐らく帰宅は7時頃。
時計を見たら、もう2時間を切っていた。
早くしなきゃ・・・と、花月は再びキッチンに立つのだった。
「ただいまー」
「お帰りなさーい・・・っ・・・今年もさすが・・すごいね・・・」
7時を少し過ぎた頃。ほぼ予想通りの時間に葉月は帰ってきた。
夕食の支度も間に合った。
・・・ところで、花月がバレンタインを嫌いな理由はもう1つある。
むしろ嫌いになった理由は一つ目よりこちらの方が大きい。
それは・・・
「そんな顔しないでよ。」
葉月の両手に提げられた紙袋に溢れんばかりに入っているチョコレートの数々。
そう、当然と言えば当然なのだが葉月がバレンタインに貰うチョコの数は尋常ではない。
それが花月がバレンタインを嫌いなもう1つの理由だった。
葉月は学生時代からモテていた。
その頃から当日はチョコを紙袋に詰めて抱えるようにして持って帰ってきていたのだが、
葉月が大学に進学すると、交友関係が広がったため
チョコの量は学生時代のそれに輪を掛けて増えたのだった。
学科の友人にはじまり、サークルの先輩に、今年からは後輩もいる。
(これは嫉妬の対象にするには少し大人げないが)サークルで行っている学童の子供たちからももらったようだし、更にバイト先。
特に最後が一番やっかいで、職場の人たち以外にお客さんからも貰うようで、
葉月のバイト先のカフェはちょっとお洒落な街中にあって
綺麗な女子大生やらOLやらが主な客層であり、そんな人たちからも貰うようになったのだ。
(ちなみに葉月がそこをバイト先に選んだのはサークルの先輩の紹介と、
ただ単に家からも大学からも近い、というそれだけの理由だった)
花月は自分でも自覚する程度にはブラコンであり、
そんなチョコを山ほど貰っている兄の姿を見ると、
もちろん良い気持ちはしないのだった。
自分では心の中で留めているつもりなのだが、兄にはしっかり見抜かれていて・・・
「クスクスッ そんなしかめっ面して。」
「そ、そんなことないよ。私そんな・・・」
クスクスッと笑われて、花月は恥ずかしさから顔が赤くなるのを感じる。
そんな妹の様子を見て葉月はまたクスッと笑うと
「ホントに可愛いんだから。花月は。」
「・・・!」
そう言って花月の頭を優しく撫でると、
お腹空いたなーなんて言いながら奥のリビングへと入っていった。
察しの良い葉月のことだから、
花月がバレンタインをそういう理由で嫌がっていることは勘づいている。
それは恥ずかしいのだが、
それを思ってバレンタインの日はいつも以上に甘やかしてくれているのを感じて、
それは嬉しかった。
花月がしばしその場で、撫でられたところを手でおさえてぽおっとしていると・・・
リンドーン
玄関のチャイムが鳴った。
その場にいた花月が出ると・・・
「はい?」
「あ、ごめんください。葉月君・・・ご在宅ですか?」
「え? あ、はい・・・」
茶髪の女性だった。少しギャルっぽいがかなりの美人だ。
手に持っている紙袋にプリントされたロゴを見て、
だいたい何の用件か分かる花月は内心ため息をついた。
すると、花月が呼びに行く前にチャイムを聞いて葉月が出てくる。
「花月? どちら様・・・あ、天海さん!」
「あ、ごめん葉月君、押しかけちゃって。
あたし、今日サークル午後の活動しか行けなかったからさー」
葉月のサークル関係での知り合いらしい。
「あ、私、お夕飯セットしとくね。」
「うん、お願い。」
花月はさすがにこの場に居続けるのは気まずくて、そう言って奥へ下がった。
・・・が、会話の内容は気になってしまって、聞き耳を立てる。
「はい、バレンタイン!」
「え、そんなわざわざ・・・ありがと・・・」
「あたし料理出来ないから買いチョコだけどねー 午後残ってた奴らにはあげたからさ。」
「(嘘ばっかり・・・あんな高級チョコ、全員に配るわけない・・・)
!! ああ、もうヤダ、私・・・」
先ほど見えたロゴはデパートの催事場とかによく出店している高級チョコレートブランドのそれ。
とても義理チョコで大量配布するような代物ではない。
だいたい、わざわざ家にまで来ている段階で葉月を特別視していることなんて丸わかりだ。
・・・と、自分の心の中にせり上がる黒い感情に気付いて、花月はまたため息をつく。
(あー、もうダメダメ!! 気にしない、気にしないっ)
花月は頭を振って、切り替えよう、と夕食のセットに取りかかった。
「ごめんね、お待たせっ ご飯食べよっ」
あれから5分くらいで葉月が戻ってきて、仲良く夕食をとった。
夕食を終えると、後片付けに花月がシンク前に立つ。
いつも葉月も手伝いたがるのだが、
バイト終わりの時は「お兄ちゃんは働いてきたんだから私にやらせて」と花月が言い張り、
それからそれが日常になった。
葉月はリビングでくつろいでいる。
「・・・よしっ」
食器を拭き終わった花月は、夕方隠した戸棚の中のプレゼントを取り出す。
(喜んで・・・くれるかな・・・)
大事に抱えて、兄がいるリビングに向かう。
「あの・・・おにい・・・」
その時だった。
リンドーン
「誰だろ・・・はーい」
またチャイムが鳴り、今度は最初から葉月が出て行った。
「っ・・・」
花月は一瞬顔を歪めて、コソッと玄関の様子を窺う。
「はーい?」
「こんばんは、葉月君。」
「香坂さん! なんで・・・」
「(わぁ・・・)」
今回来た女性は先ほどの女性にもまして美人だった。
長いゆったりとした艶やかな黒髪で、とても大人っぽい。
「クスクスッ 大体分かってるくせに。
今日散々、いろんな女の子から貰ったんでしょう?」
「え、あ、まぁ・・・」
「私からも。はい、どうぞ。」
「(す、すごい・・・)」
女性から葉月に手渡されたプレゼントは、
細やかで手の込んだラッピングで、それだけでもすごさがわかる。
「中身・・・オペラケーキなの。生ものだから申し訳ないけど早めに食べてね。」
「えっ・・・オペラケーキなんてそんな・・・手作りですか?」
「一応ね。だから味に期待はしないで、努力だけ認めてね。」
フフッと柔らかく微笑む女性に、葉月もニコッと微笑み返す。
「そんな謙遜しないでくださいよ。香坂さん器用だから絶対上手じゃないですか。
それにしてもすごいですね・・・オペラケーキ自分で作っちゃうなんて・・・」
玄関からしばらく談笑の声が聞こえてくるが、
もうそれ以降は花月の耳には入ってこなかった。
「(あんなすごいものの後にこんなの・・・渡せない・・・)」
落胆した花月は、抱えていたプレゼントを無造作にキッチンのゴミ箱に棄ててしまった。
そしてそのまま、まだ二人が話す玄関を軽く会釈するだけで通って、二階の自室に下がった。
「はぁ・・・」
ベッドに座ってため息をつくこと15分ほど。
未だ気分は晴れない。その時・・・
コンコンッ
「花月? ちょっとリビング来てくれるー?」
「え・・・はーい」
ノック音に続いてドア越しに兄の声が聞こえ、
気乗りはしなかったが断るのも不自然だろうし・・・と
花月は重い腰を上げ、リビングへ向かった。
「お兄ちゃん? どうし・・・!!」
「あ、やっぱり。花月、これ何か知ってる?」
リビングに入った瞬間、花月の目に飛び込んできたのは
棄てたはずの自分の作ったチョコレート。
少しつぶれたそれが、リビングの机の上にあったのだ。
慌ててそれを手に取る花月に、葉月が問い掛ける。
「俺、貰ったもの大体把握してるからさ。
それ、俺貰ってないやつだから、花月が何か知ってるかなと思って。
開けもしないでまるまる棄てられてるし。」
「お、お兄ちゃんには・・・関係ないよ。」
声がうわずる。
あぁ、どうしてあの時に一瞬の感情の昂ぶりで
キッチンのゴミ箱なんてところに棄ててしまったのか。
自室に引き取って後でこっそり棄てていれば・・・と悔やまれるが、
後悔先に立たずである。
「・・・なんか俺から言い出すのはちょっと違うかもしれないけど、
それ、花月が俺に・・・」
「!!」
勘の良い兄のことだからこの段階でおそらく気付いているのだろう。
それでも改めて言い当てられたくなくて、指摘されたくなくて・・・
更に朝から耐えていた感情も爆発して、花月は滅多にないほどに声を荒げた。
「っ・・・別にいいじゃない!!
お兄ちゃん、あんなにたくさん貰ってるでしょ!
高そうなお店のチョコとか、おいしそうな手作りのチョコとか!
さっきだってっ・・・」
「花月。」
突然の爆発に葉月は一瞬驚いたように目を丸くして、妹の名を呼ぶが
花月は止まらない。
「私なんかが作った、不格好でおいしくもないチョコレート1つくらいどうだっていいでしょ!!
あんなたくさんのチョコレートに比べたら・・・こんなっ・・・」
「花月!」
普段おとなしい人が爆発すると大変だとはよく言うが、今の花月がまさにそんな状態だった。
あろうことか手に持ったチョコを床にたたきつけるなんていうらしくないことをしようとして、
すんでのところで葉月に止められた。
「花月ちゃん。もしそれ床に投げたらお兄ちゃんさすがに怒るよ?」
「っ・・・」
普段の思慮深い花月なら、ここで思いとどまって、兄と話すという選択肢をとれたはずなのだが、
いかんせんこの時は頭に血が上っていた。
「っ・・・まだこれお兄ちゃんにあげてもいないのに!
私が作ったものを私がどうしたって私の勝手でしょ!
お兄ちゃんの・・・お兄ちゃんのバカァァッ」
「うわっ ちょっ・・・花月!!」
標的を床から兄に変え、花月はチョコレートを葉月に投げつけそのまま自室へ走り去り、閉じこもってしまったのだった。
・・・そして、冒頭の場面。
「もう・・・ヤダ・・・」
あんな暴れ方をして兄とケンカしたのは初めてだから、この後どうすれば良いか分からない。
葉月も追ってきてはくれなかったし、どうしようもない。
花月が悩みにくれる間に、時間は過ぎていくのだった。