警察署について、仁絵は取調室に入れられ、

須王はすぐに風丘に電話をかけた。


ピリ


“勝輝っ!?”


1コールもしないうちに出る風丘。

おそらく、ずっと待っていたのだろう。


「葉月。捕まえたぜ。遅くなって悪かったな。」


“仁絵君、怪我してない!?”


「あー・・・・・・無傷とは言えないが・・・

まぁ、元気だから安心しろ。」


さすがに電話口で『刃物でちょっと・・・』とは言えず、

須王は言葉を濁す。


“そう・・・すぐ行くよ。警察署だよね? 

15分ぐらいで行くから!”


そう言って、電話が切れた。

とりあえず、これで一安心・・・と、須王は取調室に戻る。


イスに座り、ムスッとしている仁絵に、

何気なく話しかける。


「葉月が迎えに来るってよ。ちゃんと謝れよー あいつ・・・」


「あいつには関係ねぇ!!」


「・・・あぁ?」


ムキになって叫んだ仁絵に、須王は眉をひそめる。


「俺は出てく。

あいつとはもう二度と顔合わさねぇって決めたんだよ。」


そう言って立ち上がろうとする仁絵を、

須王はすかさず立ち上がって押しとどめる。


「待てよ。俺はお前を捜すように葉月に頼まれたんだぜ?」


「知るかよ。離せ。離さなかったらぶっ飛ばしてやる。」


「ダメだ。あいつに引き渡すまではぜってぇ逃がさねぇ。

あいつはお前のことをなぁ・・・」


「黙れぇっ!!」


ガチャァァンッ


「うぉっ!? っぶねぇ・・・」


仁絵が、机に置いてあったお茶の入ったグラスを、

対峙して自分を押しとどめていた須王に向かって投げつけた。
須王は間一髪で避け、グラスは壁に当たって割れた。
そのまま仁絵は叫んだ。


「あいつはっ・・・

あいつは俺のことなんてどうとも思っちゃいねぇよ!!!」


「・・・っ!?」


「俺がどこで何をしようが、いなくなろうが、喧嘩しようが、

あいつには関係ないんだよ!!
俺がどうなろうが、あいつは何も思わねぇよ!!!」


その言葉の後、取調室はシーンと静寂に包まれる。

しばらく続いたその沈黙を破ったのは、静かな須王の声だった。


「おい・・・それ、もういっぺん言ってみろ・・・」


その声は、静かだが、明らかに怒りを含んでいた。


「葉月が・・・葉月がお前のことをどうでもいいだって・・・?
んなわけあるか!!」


そう言って、仁絵の胸ぐらを掴みあげる。

が、仁絵の様子は変わらない。


「フン・・・何言われたって、俺は・・・」


「それでもそうだと言い張りてぇなら・・・

迎えに来た、葉月の顔見てからにしろや。
その顔見て、その様子見て、どんなリアクションするか見て、

それでもそうだと言えるなら・・・好きにしろ。」


そう言って、須王が少し乱暴に仁絵を離す。


「っ・・・何熱くなってんの? ガラにもなく・・・バカみてぇ・・・」


仁絵は投げやりな、でもどこか寂しそうな声でそう呟くと、

そのまま黙り込んでしまい、また取調室は沈黙に包まれた。





その沈黙を破ったのは、須王の部下の警察官だった。


「須王さん、保護者の方が・・・」

「!」
「っ・・・」


「仁絵君!」
「っ・・・!?」


「仁絵君・・・ 良かった・・・っ」

「なっ・・・」


現れた風丘は、仁絵の姿を認めると、

駆け寄って、そのまま強く抱きしめた。
突然のことに、仁絵は困惑して固まってしまう。


「また無茶するんじゃないかって・・・心配で・・・」


「っ・・・」


仁絵君・・・ 説明させて・・・くれないかな

誤解を解きたい。」


「何がっ・・・」


「仁絵。」


「っ・・・勝手にすれば・・・」


須王に睨まれ、そして、何よりも真剣な風丘の顔を見て、

渋々了承、の体で、

仁絵は向いに座った風丘に対して体を横に向け、

そっぽを向いたように座った。


本当は、もうすでに心はぐらぐら揺れていた。
須王が見ろと言った、自分を見たときの風丘の顔。

その顔は・・・


(何であんな顔・・・すんだよ・・・)


「・・・条件だったんだ。」


仁絵の心が揺れる中、静かに切り出した風丘。


「・・・は?」


「仁絵君を預けてもらうのに、養育費とは別に月20万受け取ること。

れが、仁絵君を預けてもらうのに、
仁絵君の家側から提示された条件だったんだ。
それを了承しなかったら、すぐに仁絵君は連れ戻すって。

あの後、電話で西院宮さんに言われた。」


「・・・バカじゃねーの? そんなことして、何に・・・」


「保険、だな。」


「・・・は?」


「人間、無償で何かやる、と決めたことは、

その時どんな強い意志で始めても、すぐにそれは揺らぎやすい。
が、何かその代償である物を差し出す、または受け取っていれば、
無償の時よりも遙かにそれをやり遂げようとする義務感は強くなる。

真面目な奴ほど、特にな。

子どもを預けるなんてご大層なこと、すぐに投げ出されちまったら困る。
まぁ、葉月はんなことされなくても

仁絵の面倒を途中で投げ出すようなマネはしねぇだろうが・・

一応、ってところだろう。
それに、どうせこのことは内密に、なんて約束も交わしてただろうし、

そっちの保険も兼ねてるだろうな。
もしその約束を破られた時、

あれだけの大企業の社長なら、金を渡した形だけ作っておけば、
後はそれを利用して適当な作り話でっち上げて、
1人の人間を社会的に追い込むことくらい、容易いだろうから。」


「なっ・・・」


「うん。多分・・・ 

不本意だったけど、

それでも、あの環境に仁絵君を置くよりは・・・って思った。」


「じゃあ、引き出してたのはっ・・・」


「うん・・・これ。」


そう言って、葉月が1つの通帳を仁絵に差し出した。
仁絵がおそるおそるそれを開けると・・・


「・・・何、これ・・・毎月・・・20万と・・・それと・・・」


通帳には、毎月決まって20万が月頭に送金され、

月終わりに8万円ほどが送金されている記録が記されていた。


「貰った20万円、それから、養育費で余ったのをそこに貯金して・・・
義務教育が終わって、

仁絵君が自立する時に渡そうと思ってたんだ。
仁絵君名義で作ろうと思ったんだけど、

印鑑とか用意しなきゃいけないから、
後々仁絵君にお金のことと一緒に説明して、

それから作ればいいやって後回しにしちゃって・・・」


「何で・・・すぐに・・・」


「いくら理由があっても、

そういう金銭関係が発生してるってこと、

仁絵君知ったらいい気はしないと思って・・・
嫌われちゃうかなって・・・

どう説明しようかっていろいろ考えてたら・・・」


「なっ・・・」


風丘は立ち上がり、また仁絵を抱きしめる。
気を遣ったのか、須王の姿は消えていた。


「ごめん・・・ごめんね、そんな自分本位な理由で遅らせて・・・
俺がもっと早く・・・ちゃんと説明してれば、

仁絵君に、あんな・・・あんな辛い言葉言わせなくて済んだのに・・・
こんな・・・苦しい思いさせずにすんだのに・・・」


「かざ・・・おか・・・」


風丘の苦しそうな、今にも泣き出しそうな声。
それを聞いて、更に仁絵の心は揺れる。
仁絵は、震える声を絞り出した。


「んな声出すなよ・・・期待・・・しちまうじゃん・・・」


「仁絵・・・くん・・・?」


仁絵の言葉に、

風丘は抱きしめていた腕を解き、仁絵と向かい合う。
仁絵は、苦しそうに言葉を紡ぐ。


「あんたはいつも・・・っ・・・

いつもふざけた感じでっ・・・余裕綽々で・・・
俺や惣一とかがなんかやらかしたら怒るけど、でも冷静でっ・・・

いつも・・・いつもそうなのにっ・・・」


「仁絵君・・・」


「俺のことでっ・・・そんな必死で・・・

余裕無い顔見せられたらっ・・・き、期待・・・期待しちまうだろ!
俺、風丘に大切にされてんのかもって! 

風丘のとこにいてもいいのかもって!
でも違う・・・迷惑だろ、正直・・・

俺なんか、こんな問題ばっか起こす不良の男子中学生引き取ったって・・・

何のメリットもない・・・」


「仁絵君。違う・・・」


「だから・・・だからっ!! 余計な期待させんなよ!!! 
俺なんか・・・俺なんか価値の無い人間引き取ったってっ」


「仁絵君っっ!!」


「っ・・・なんだよっ・・・もういいよっ・・・」


風丘に、両肩をつかまれ、仁絵が一瞬ひるむ。
すると、風丘は言い聞かせるように、

でも強い口調で言った。


「良くない。どうしてそんなこと言うの。

いい加減、もっと自分のこと認めてあげて。
それに・・・俺が、メリットデメリットとか、そんなくだらないこと考えて、

仁絵君引き取ったなんて思ってるの?」


「く、くだらないって・・・」


自分が最も気にしていたことを、

『くだらない』の一言で切り捨てられ、仁絵は目を丸くする。


「仁絵君が、あの家庭環境で苦しんでるのが分かった。

嫌な思いしてるのが分かった。だから助けてあげたかった。

リットなんて最初から考えてない。
それだけじゃダメ? 理由にならない?」


「そ・・・それはっ・・・」


その言葉は、仁絵が心の奥で一番聞きたいと望んでいた言葉。

それから、風丘はなおも続けた。


「あとね・・・・・・あ、こんなこと言うのは、教師として最低・・・っていうか、

教師失格だから内緒だよ?」


「え・・・」


人差し指を口に当てて、微笑む風丘。
そして続けられた言葉は、仁絵の心に一生残るものとなる。


「生徒のことは、みーんな大切だよ。

惣一君も、夜須斗君も、つばめ君も、洲矢君も、他の子もみーんな。
でもね・・・・・・

半年近く、学校でも、家でもずーっと一緒にいたらさ・・・

どうやったって、特別大切になると思わない?」


「っ・・・か・・・ざおかっ・・・」


「一緒にお家帰ろ? ね?」


「かざおかっ・・・ふぇっ・・・ぇぇっ・・・」


仁絵は風丘に抱きしめられながら、しばらく泣き続けた。
その流した涙は、仁絵の凍てついた心を溶かしていったのだった。