仁絵に殴られた風丘は、
走り去る仁絵の後ろ姿を見送るしかなかった。
すぐにでも追いかけたい衝動に駆られるが、
さすがに授業を放り出して
何も言わずに飛び出していくわけにはいかない。
はやる気持ちを抑えて、
風丘は携帯を取り出して、ある人物に電話した。
ピリリリリ ピリリリリ
“あぁ、葉月。どーし・・・”
「勝輝・・・」
かけた相手は須王だった。
風丘は、出た須王の言葉を遮って続ける。
「お願い・・・仁絵君を探して・・・」
“あぁ?・・・ってか、お前、何だよ、んな弱々しい声で・・・”
「訳はちゃんと後で話すから・・・
お願い・・・今のあの子、どこで何するか分からない・・・」
“葉月・・・”
「ごめん・・・
ほんとは俺が探しに行きたいんだけど、それは・・・」
“フッ・・・わーったよ。安心しろ。俺は女王様キラーだからな。
すぐにとっつかまえてお前んとこに引っ張ってってやる。
ちゃんとあいつをどやしつける準備、しとけよ?”
「勝輝・・・ありがとう。」
“おうっ”
ピッ
風丘は電話を切ると、
頭を切り換えようと頭を振り、
1時間目の授業の担当である自分のクラスに歩を進めた。
「はい、みんな。遅くなっちゃってごめんねー 授業、はじめよっか。」
「んだよ、ずっと来なくて良かったのに・・・」
「惣一君? お部屋行きたい?(にっこり)」
「じょ、冗談だよ!」
焦る惣一の姿に、クラスのみんなが笑う。
和やかなムードで、いつも通りに授業が始まった・・・はずだった。
カッカッカッ
「えーと、1603年に、江戸幕府初代将軍徳川家康が・・・」
黒板に年表を書き、解説をする。
いつも通りの授業風景・・・なのだが。
「・・・風丘。生類憐れみの令の「憐れみ」の字、間違ってる。
それから、享保の改革開始の年号も。」
夜須斗からの指摘が飛び、教室がざわつく。
夜須斗が教師の間違いを指摘するのはよくある風景だが、
風丘がミスするなんて、前代未聞だった。
「えっ・・・あっ、ごめん・・・うっかり・・・」
「・・・」
黒板を見直した風丘は、慌てて訂正する。
すると、惣一が、ここぞとばかりにちゃかす。
「ダッセー! しっかりしろよ、風丘ぁ!」
「ごめんごめん。昨日ちょっと仕事で徹夜しちゃったから、
ぼーっとしちゃって。」
「・・・」
本当は、仁絵のことを考えていたからなのだが。
風丘は慌ててごまかし、
何事もなかったかのように授業を再開した。
・・・が、彼はごまかせなかったようで。
授業終了後、足早に教室に戻ろうとする風丘を、
呼び止める生徒がいた。
「待てよ、風丘。」
「・・・夜須斗君?」
「あんた・・・なんかあったでしょ?」
「何かって・・・何が?」
心の中の動揺を悟られないように、さらっと返す。
が、夜須斗の疑いの目は晴れない。
「らしくないじゃん、あんなミス。
年号はまだしも、漢字間違えるなんて、あんたじゃ考えられない。」
「確かに・・・」
「言われてみれば・・・」
そばにいた洲矢やつばめも首をかしげる。
「年号にしたって、
いつもマニアックすぎて『何その出来事』みたいなやつの年号まで
そらで言えるあんたが、
あんな定番の年号間違えるなんて、普通じゃあり得ない。」
「・・・」
「そんな凡ミス犯すほどの精神状態に、
普段イヤミなくらい余裕綽々のあんたがなるなんて、
よほどのことがあったとしか考えられないんだけど。」
「・・・・・・・考えすぎだよ、夜須斗君。
ほんとに、ただの寝不足。
俺だってそんなパーフェクト人間じゃないし。」
「・・・・・・」
「今回のはほんとに凡ミス。教えてくれてありがとう。
ほらほら、次の授業の準備は良いの? 俺も次あるから、行くね。」
風丘は軽くあしらうと、そう言って職員室の方へ歩いていった。
「・・・」
その風丘の後ろ姿を凝視している夜須斗に、
惣一が声をかける。
「夜須斗、考えすぎじゃね?
風丘だってたまにはミスんだろ?」
「・・・だったら良いけど。」
一方、職員室に戻りながら風丘は、
「はーっ、こういう時、勘の鋭い子は困るなぁ・・・」
と、ため息をついていた。
「あの子たちの前では普通にしてなきゃね・・・。
変に心配させちゃうから・・・」
幸い、今日は金曜日で明日から休み。
今日だけ何とか乗り切れば・・・と、風丘は心を奮い立たせた。
一方、警察署少年課。
仁絵探しは、想像以上に難航していた。
「ったく・・・あの容姿だぜ? 目撃証言ちったぁ出ねぇのかよ!」
「ま、まぁ・・・昼間は徘徊している不良も少ないですし、
夜になれば・・・」
「バカ! それじゃあ遅ぇんだよ!」
夜になれば、やばい奴も増える。
その前に保護したいのに・・・と、須王のイライラは募る。
そこへ、1人の部下の警察官が飛び込んできた。
「す、須王さん!!」
「おっ、なんだ、いたか!?」
「に、西区佐伯町で、乱闘騒ぎがあり、警察官が駆けつけたところ、
負傷して倒れている高校生が3名、
口々に『女王にやられた』と・・・」
「チッ・・・もう始めやがったか・・・
おい、佐伯町周辺を重点的にあたれ、俺も出る!」
「はっ!」
(おっ始めてくれたおかげでこっちも派手に動けるが・・・
あのバカ・・・葉月をあんな状態にするなんて・・・
いったい何しやがったんだ・・・?
あんな・・・あんな弱った葉月の声・・・)
葉月から、成り行きで仁絵を預かることになった、
というのは聞いていたが・・・と、
須王は滅多に弱みを見せない友人の姿に、
焦りと疑問を感じるのだった。
しかし、この最初の目撃(というか乱闘)からも、
仁絵の足取りは全くつかめなかった。
正確には、足取りはつかめるのだが一向に姿が見られなかった。
それから一時間おきくらいに乱闘が市内各地で起こるのだが、
その場所は全くアトランダムで、
須王たちがその周辺を洗っている時に、
全く別のところで乱闘が起こる、の繰り返しだった。
「須王さん、また別の場所でっ・・・」
「チッ・・・またかよ・・・」
「須王さん、まずいですよ・・・
どんどん、『女王復活』の噂が不良たちの間で広がってるようです!
学校も終わって、徘徊する不良たちも増えてきてますし・・・」
「んなこたぁ分かってる!
あのヤロー・・・ここぞとばかりに本気で逃げ回りやがって・・・」
そんなとき、電話が鳴った。
ピリリリ ピリリリ
“もしもし”
「葉月・・・」
“まだ・・・だよね。”
「あ、あぁ・・・悪ぃ。目撃証言は出てるんだけどな。
まだしっぽが・・・」
“目撃証言って・・・喧嘩?”
風丘の声が震えるのが分かる。
須王は慌てて取り繕った。
「あ、安心しろって、今のところ売られたのを買って、
一方的にボコしてるだけみてぇだから。
お前の心配してるような、
自棄になって突っ込んでったり系じゃねぇし。
・・・・・・悪ぃ。早いとこ見つける。葉月は家で待ってろ。
万が一、あいつが戻ってくるかもしんねぇし。」
“勝輝・・・ごめんね。あの・・・”
「訳は今は聞かねぇよ。
お前がそんなになるまでの内容、しかも2人の間のこと、
俺みてーなバカが聞いたって何のプラスにもなんねぇし。
とにかく、俺は一刻も早くあいつを見つける。だから・・・」
“勝輝・・・相変わらず優しいね。”
「っ・・・はずいからやめろって! じゃあ、切るぞ!」
“うん・・・ありがとう。”
ピッ
「ったく・・・おい、急ぐぞ! 日が落ちたらやべぇ連中も増えてくる。」
「はっ!」
が、須王たち少年課の努力もむなしく、
それからもなかなか仁絵の足取りはつかめなかった。
日が暮れ、夜も更け、時刻は午後11時。
その時須王のもとに、次の、そして嫌な報告が入った。
「須王さん! 目撃情報出ました!
高校生ぐらいの集団と、この近くの地下道で衝突しているようです!
し、しかも・・・」
「しかも・・・なんだ?」
「相手の高校生側は、金属バット等、多数の武器を所持、
中には刃物類の目撃情報も・・・
目撃した少年たちの話だと、鬼星団の一部ではないか、と・・・」
「鬼星団って・・・そりゃやべぇな・・・急ぐぞっ」
鬼星団は、この地区を中心に活動する
10代後半のメンバー中心の不良グループで、
その過激さで少年課のブラックリスト入りしているグループだった。
その集団に1人で対峙しているなら、いくら仁絵でも危ない。
須王は車を飛ばし、現場へ急いだ。
「ちっ・・・こいつっ・・・ガキのくせしてっ・・・」
「ふん・・・そうやって舐めてかかるからボコされんだろーが。
てめーらみたいな雑魚集団がブラックリスト入りだなんて・・・
ブラックリストもたかがしれてるな。」
「ってめぇぇぇっ!! ぐをぁっ」
仁絵の胸ぐらを掴み挙げた不良が、腹を押さえてくずおれる。
仁絵が、膝蹴りを入れたのだ。
「汚ぇ手でさわってんじゃねぇよ。クズが。」
それを合図に、不良たちが束になって襲いかかるが、
仁絵は次々と倒していく。
金属バットや木刀を振り回す連中もいるが、そもそもあたらない。
「得物持ってても当たらなきゃ意味がねぇんだよ!」
「その通り。」
「っ!? うぁっ」
1人の男の声がした。
そして、その後腕に感じた軽い痛み。
見ると、腕にかすり傷が出来、そこから血が流れている。
「っ・・・てめっ・・・ハァハァ・・・」
「安心しろよ。掠らせただけだ。」
「壮さん!」
不良たちが口々に「さん」付けで名前を呼ぶあたり、
男はグループの中での実力者らしい。
「どうだ? 得物の正しい使い方を実践してやったぜ?」
「ハァハァ・・・」
「掠っただけでもなかなか痛ぇだろ?
でもまぁ、当然だよなぁ?
いくら雑魚の下っ端でも俺のグループの連中だからな。
これだけたこ殴りにされたら・・・黙って見過ごせねぇじゃん?」
「抜かしてんじゃねぇよ・・・。
こんだけ雑魚を囲い入れて、
しかも成長させられねぇなんて・・・ハァハァ・・・
上に立つてめーも・・・雑魚だろーが。」
仁絵がそう言うと、男の目が険しくなる。
「ケッ・・・てめーは状況分かってんのか?
俺がその程度で許してやるとでも思ってんのかよぉっ!!」
男がナイフを振りかぶって飛びかかった。
仁絵が、相打ちを狙ったか、腹に拳を打ち込もうと身構える。
・・・が、そのどちらも決まらなかった。
ガシッ
「!?」
「ちっ・・・須王かよ・・・」
振りかぶった男の腕と、打ち込もうとした仁絵の腕。
両方を片手ずつで掴んで押さえ込んだのは、須王だった。
「学習しねぇな、壮。
てめーは俺に何度銃刀法違反でパクらせる気だ。」
「一度、高飛車な女王様に、傷つけてみたかったんだよ。
しかも、都合の良いことに
今日はご乱心でうちのグループの奴らに手出してくれたみたいだし?
応戦がてら・・・ってぇぇっ!!」
須王は、片手で男の腕をねじり上げる。
男は、痛みに悲鳴を上げる。
「いい加減にしろ。覚悟しとけよ。
こっちの用が済んだら、とことん後悔させてやる。・・・連れてけ。」
そう言って、男を別の警官に引き渡し、
今度は腕を掴んだまま、仁絵の方に向き直る。
「・・・離せよ。」
「誰が離すか。さんざん手こずらせやがって・・・
取調室ぶち込むまでは、ぜってぇ離さねぇからな。」
「俺補導したって、何にもならねぇだろ。」
「・・・。話は、取調室だ。とりあえず手当すんぞ。パトカー乗れ。」
「っ・・・」
怪我していない方の腕をぐいぐい引っ張られ、
仁絵は勝輝に連行されていった。