「・・・お帰りなさいませ、仁絵様。」


「・・・あぁ。」


険しい顔をした西院宮に出迎えられた仁絵。

その仁絵の顔も、先ほどの柔らかさは消えている。


「昨晩、旦那様はとてもお怒りで・・・」


「だから? 俺には関係ねぇ。」


「私からのメールやお電話も全て無視なさって・・・

携帯電話の電源をお切りになっていたようで。」


そう、実は昨晩、

西院宮から十通近くのメール、着信があったのだが、
そうなることを予測していた仁絵は電源を切っていたのだ。


「俺は前から言ってたじゃねーか。

土壇場で予定いれやがったのは親父の方だろ。
悪ぃのはあっちだ。」


「だからといって・・・・・・仁絵様!」


仁絵はそのまま二階の部屋に上がっていってしまった。





夜の8時過ぎ。

夕食ができたとしつこく西院宮に呼ばれた仁絵は、

仕方なく夕食をとろうと階段を下りていった時。


「・・・あ。」


「・・・っ・・・お前・・・」


「あっ・・・お帰りなさいませ、旦那様・・・」


たまたま帰ってきた父親と出くわしてしまった。


「昨晩・・・どういうつもりだ。朝、西院宮から聞いていただろうが。」


「だから? 俺はその前からあの日には予定あるっつってただろ。
先に入ってた予定を優先させる・・・社会のジョーシキじゃねーの?
カリスマ経営者サマ?」


「非営利な友人とのプライベートな約束と、
営利な商談相手とのビジネスな約束。

どちらを優先するかなど火を見るよりも明らかだろう!」


「そうやって金、金、金って・・・ 

金にしか目がねーのかよ、この金の亡者が!」


「なんだとっ・・・お前など息子でも何でもない! 

さんざん迷惑をかけて・・・っ」


「あぁ、こっちだってテメーみてぇな銭ゲバの息子なんざ願い下げだ!」


「出て行け! 勘当だ!」


「旦那様! ご冗談にもほどが・・・」


「ハッ、今時勘当なんて・・・時代劇の見過ぎじゃね? 

・・・でもいーよ。俺だってこんな家・・・出てってやるよ!」


仁絵はそのまま玄関に置いてあった靴を履き、

父親の横を通り抜けて家を飛び出した。
西院宮の静止も聞かずに。






勢いで飛び出したものの、

そもそも食事をするために階下に行こうとしていただけなので、
財布も携帯も部屋に置いたまま。

しかも、12月下旬の夜、身を切るような寒さの中、
コートもジャケットも何も羽織らず出てきてしまった。
そして、最悪なことに雪まで降り出してきた。


「ハッ・・・かっこわり・・・頭に血のぼって、

先のこと何も考えてねーの・・・」


あのとき、せめて部屋に戻って

携帯や財布と上着だけでも取ってくればよかったのに。
格好つけて、勢いで飛び出した結果がこれだ。

雪が舞い落ちて、溶けて雫となって仁絵の綺麗なブロンドの髪を濡らす。
着ていた服が、濡れて仁絵の体温を奪う。


「やっべ・・・こんな都会のど真ん中で・・・凍死・・・? 

笑えねぇ・・・」


家に戻れば良いのだが、

そんなのは『女王』とまで呼ばれた仁絵のプライドが許さない。
それに、父親の頑固さも相当だ。

帰っても、門を開けさせないかもしれない。
友達を頼ることもできなくもないが、

事情を説明するのが面倒なのと、
今は12月25日の、夜8時過ぎ。

年の瀬も迫って忙しい、

しかも夜にこんな状態で押しかけてはきっと迷惑になる。


しかたなく、仁絵はそのままあてもなく街をさまよい続けた。
こんな姿で歩き回っていれば、いやでも人目につく。

街ゆく人が仁絵に視線を向ける。
仁絵はそういう人たちと目を合わせないように、

極力下を向き、歩いた。



そして、どれくらい経っただろうか。
不意に、知っている声が降ってきた。


「ひーくん・・・? ひーくんっっ!!」


「しゅ・・・う・・・や・・・?」


寒さで口が上手く回らない。

ようやっと顔を上げ、仁絵の視界に入ったのは、

心配そうに自分の顔をのぞき込む洲矢と、後ろにはばぁやの姿。

手には買い物袋を持っている。


「わり・・・ちょっといろいろあって・・・じゃ・・・」


よろよろと方向転換しようとする仁絵。

だが、その腕をガシッと洲矢に掴まれる。


「何言ってるの・・・? 

こんなカッコで、傘も差さないで、全身びしょ濡れで・・

風邪ひいちゃうじゃない!」


「へーきだよ、こんくらい・・・大丈夫だから・・・」


「大丈夫じゃない! ねぇ、理由なんて聞かないよ。

でも、このままじゃひーくん凍死しちゃうよ。
家に来て? お願い。」


「洲矢・・・」


「仁絵さん。」

しばらく様子をうかがっていたばぁやが、ゆっくりと口を開く。


「お家に来てください。」


「っ・・・・・・はい・・・」


ゆったりとした、でも有無を言わさないその口調。
仁絵は、素直に従うことにしたのだった。





洲矢の家に着いた途端、仁絵は風呂場に押し込まれた。


「ちゃんと温まるまで、最低15分は入ってなきゃダメだからねっ」


と洲矢に釘を刺され。


服は雪で濡れてしまったので、

洲矢より背の高い仁絵は少し大きめだが洲矢の父親の服を借りた。
仁絵の服は今洗濯機の中だ。


風呂からあがると、キッチンでばぁやが待っていた。


「さぁさ、お腹空いたでしょう? 

簡単なものしかできませんでしたけど、

良かったら食べてくださいね。」


そう言ってニコニコ笑いながら、出されたのは土鍋に入った雑炊。


「っ・・・ ありがとう・・・ございます・・・」


「いいんですよ、ほら、冷めないうちにどうぞ。」


元々、夕飯を食べずに飛び出してきたのだ。
空腹であることは間違いのない仁絵は、無言で雑炊を掻き込んだ。


「うまい・・・」


「そうですか? 良かった。 

今日は泊まっていきなさいな。ご来客用の部屋もありますし、
何なら洲矢さんと同じ部屋でも・・・」


「いや、そんな・・・」


「ひーくん、同じ部屋で寝よ? 布団、運ぶからっ」


「え?」


「是非、そうしてください。

お洋服も、明日の朝にはアイロンして整えておきますから。」


こうして、仁絵はこの夜、洲矢の家に泊まることになった。





「洲矢、俺・・・」


さぁ、寝ようとなった時。仁絵は俯いてポツリと言った。

ここまでしてもらって、事情を話さなくては・・・と。
だが、洲矢は優しくそれを遮った。


「いいよ。辛いこと無理に言わなくても。

ひーくんが嫌なら、しなくていい。」


「しゅう・・・や・・・」


「力になれるならなりたい。いつでも言って? 

でも、ひーくんが望まないことはしないよ。
人の嫌がることするなんて、友達じゃないでしょ?」


「っ・・・悪ぃ・・・」


「ううん・・・全然・・・・・・おやすみ・・・ひーくん・・・」


仁絵が顔を膝に埋めると、

洲矢はそれ以上何も言わず、布団にくるまり、眠りに落ちていった・・・。





(やっぱり・・・俺はここにいちゃダメだよな・・・)


今は良いと言ってくれていても、いずれ必ず迷惑がかかる。
仁絵は、屋敷が寝静まった夜中の12時過ぎ。
借りていた洲矢の父親の服を脱いで、

脱衣所に置いてあった自分の服に着替える。
「明日の朝には」とばあやは言っていたが、

もう畳まれて丁寧に置かれていた。


着替えてそのまま、そっと家を出る。
エントランスの扉の鍵を開け放しにしてしまうのは気が引けるが・・・
一応、門扉は開けないように、脇の塀をよじ登って外に出た。




仁絵はそのまま、あてもなく夜の街を彷徨った。
元々目立つ容姿な上に、

ちょっと前まで「天凰の女王様」として幅をきかせていたのだ。
少し繁華街へ行けば、ふっかけてくる不良も少なからずいる。
仁絵はそういうのに出くわすと、警察が来ない程度に付き合い、
最後は失神させてその場から退散していた。
中には高校生やそれ以上の奴らもいたが、

仁絵には問題ないぐらいのレベル。
更に言えば、コートを着ていない仁絵にとって、

ケンカは体を温めるために使える手段だったのだ。






所変わって洲矢の屋敷。

洲矢は仁絵が出て行って30分ほど経って、ふと目が覚めた。
何気なく仁絵の布団に目を移すと、そこはもぬけの殻。


「ひーくん・・・? ひーくんっ!!」


洲矢は思い立つと、

途端に周りが見えなくなる、という

惣一やつばめと通じる危なっかしい一面があった。
今回は、それが最悪な形で発揮されてしまう。


洲矢はパパッと着替え、

仁絵の後を追って夜の街に飛び出していってしまったのだ。

そして、何も考えずに「ひーくん! ひーくぅんっ ひとえっ」と

声を上げて呼んでしまう。
洲矢にとって最悪だったことは第一に「ひーくん」に交じって

「仁絵」と呼んでしまっていたこと。
そして、第二に、街を徘徊している不良の大多数が

この時点ですでに仁絵にやられていたこと。


洲矢はすぐに、不良たちに絡まれてしまった。


「なぁ、お前・・・今「仁絵」って呼んでたよなぁ?」


「なんだぁ? あの女王様の知り合いかぁ?」


「はっ・・・はなしてっ・・・」


「あいつの知り合いのわりにはずいぶんひょろいなぁ・・・」


「やっ・・・」


「まぁ、いい。

俺たちよぉ、今夜はあいつに散々やられてイライラしてんだよ。
てめーで発散させてもらうぜ?」


「っ・・・」


不良の1人が拳を振り上げたときだった。


「てめーらそいつに・・・さわんじゃねぇぇぇぇっ!!」


そいつのこめかみに仁絵の飛び膝蹴りが炸裂した。


「ひっ・・・ひーくんっ・・・」


「何してんだてめーら・・・おい・・・」


洲矢が感じたのは、いつもの仁絵とは全く違う殺気。
その殺気は自分にではなく、

明らかにあの不良たちに向けられているけれど・・。


「てめーらのそのきたねー手でこいつに触ったりしてんじゃねーよ・・・」


「「「っ・・・・」」」


不良たちも、ここまで殺気だった仁絵を見るのは初めてなのか、

仁絵が中1だということも忘れて怯んでいる。


「こいつは俺の大切な奴だ。

てめーらこいつに手出したな? 全員・・・ぶっ殺してやる!!!!」


「ひーくんっ・・・!」


そう叫んだが早いか、仁絵は不良の群れの中に飛びこんでいく。
怯んでいた不良たちも、伊達に不良ではない。

何とか持ち直して応戦。
それでも、戦況は完全に仁絵有利だった。
だが、他の場所でやられた不良たちも次々と参戦してきて

なかなか埒があかない。
洲矢をかばいながらケンカし続けるのもいつか限界が来る。
しかも、予想以上に大きなケンカに発展してしまった。


(やっべ・・・このままじゃ遅かれ早かれ補導される・・・)


自分はもう補導歴なんて覚えていられないくらいあって、

今更どうってことない。
だが、補導歴確実に0な洲矢を、こんなところで巻き込みたくない。


(ちっ・・・一か八か・・・)


逃げて捕まれば間違いなく体力を消費して

こっちが不利になる。それでも・・・
仁絵は洲矢の手を掴んだ。


「洲矢!」


「えっ!?」


「走れ!」


「うわぁっ!」


全速力で駆け抜ける。
もちろん他の不良たちも追ってくる。
洲矢を連れてるぶん、直線勝負は分が悪い。
仁絵はそう悟り、路地裏や脇道を使って回り道しながら、
何とか人気のない公園の遊具の中に身を潜め、

やり過ごすことに成功した。


「フーッ・・・何とか巻いたな・・・」


「ひーくん・・・」


「このバカっ・・・夜中に俺の名前大声で呼んだりしたら

あーなんに決まってんだろーがっ」


「ご、ごめん・・・ だって・・・ひーくん探さなきゃって・・・」


少し怒った声で洲矢の頭を小突くと、

洲矢が泣きそうなしょげた声を出す。
そうなった洲矢には勝てなくて、

仁絵は溜息をついてフォローする。


「分かった分かった。俺が悪かったよ。黙って出てってごめん。」


「ひーくん・・・」


「迷惑かけたくなかったんだよ・・・

まぁ、結果的に巻き込んじまったけどな・・・」


読みが甘かった・・・と今更ながらに後悔。
まぁ、補導されなかっただけ良しとすべきか・・・と

仁絵が思い直していたとき。


「洲矢・・・ケータイ、光ってる・・・」


「え・・・あっ・・・」


「・・・ちょっと待て。ヤな予感がする・・・」

「僕も・・・」

「洲矢、ちょっと貸せ。」

「うん・・・」


ケータイを手渡す洲矢。
仁絵が恐る恐る開いたそのディスプレイに映っていたのは・・・


「・・・予想的中。最悪。終わった・・・」


着信は計10件。最初の3件はばあやから。
しかし残りの7件は・・・


「みーつけた。」


「ぎゃぁっ!」
「うわぁっ!」


遊具の中を外からのぞき込んできたのは、その張本人。


「「風丘(先生)・・・・」」


「2人とも、お家帰るよ?」


「・・・俺は・・・帰れねぇ。洲矢連れてとっとと行けよ。」


風丘に言われたものの、プイと顔を背ける仁絵。

しかし、風丘は全くひるまず続ける。


「うん、知ってる。ケンカしたんでしょう。

西院宮さんから聞いたよ。
全く。ダメじゃない、携帯ぐらい持って家出しなきゃ。

連絡だってつきやしない。」


「チッ・・・あのヤロー、余計なこと・・・

あー、そうだよ。勘当された! だから家には帰れねぇ!」


「ひ、ひーくん・・・?」


「・・・・」


「知ってるさ。日本の法律に勘当なんてシステムねーって。
でも俺が、俺の意志であんな家には戻らねぇ。戻りたくねぇ。だから・・・」


「うん。だから柳宮寺は俺の家に連れて行く。」


「・・・っ・・・え?」


「先に佐土原の家に寄った後にね。

佐土原は佐土原の家に帰ったら、お仕置き。
柳宮寺は・・・話も聞かなきゃいけないみたいだし、

俺の家に連れてってお仕置き。
それなら、柳宮寺は自分の家に行かなくてもいいでしょ?
だから佐土原だけ連れてけって言葉は聞かないよ。」


「うっ・・・」


言いくるめられ、更にあっさりお仕置き宣言までされ、返す言葉がなくなる。
そのまま、二人して腕を掴まれ引きずり出された。

時刻はもう2時を回ろうとしている。

風丘は洲矢の家への道を歩きながら、洲矢宅へ連絡を入れていた。

追ってきていた不良は姿を見せず、

3人は無事洲矢宅へ到着した。


風丘が「大丈夫なので、先にお休みになってください」と

ばあやに言うと、
ばあやも洲矢の無事を見届けて安心したのか、
「後はお任せします」と言って寝室に入っていった。



「それじゃあ、佐土原の部屋を借りようかな。

柳宮寺はここで待ってな。」


「・・・逃げるかもよ?」


精一杯の反抗。困らせたくて、言ってみたが。
あっさり、風丘は断言した。


「逃げないよ。

柳宮寺は、友達を置いて、自分だけ助かろうとなんてしないでしょ。」


「っ・・・」


あまりにもあっさり言われてしまい、

仁絵はそれ以上何も言えず、黙って2人の背中を見送るしかなかった。