総武本線稲毛駅はかつては黄色い各駅停車しか停車しませんでした。

 

 

私がかつて稲毛に住んでいた昭和49年から昭和53年の小学生3年から中学1年の頃の稲毛駅はまだ高架前の地上時代。

 

 

正直なところ周辺を含めて田舎駅。

 

 

113系快速は当時の地元小学生の憧れのカッコいい電車でしたが当時の稲毛は通過。

 

 

唯一停車するの101系各停の黄色い電車は10分以上の間隔。。。。。

 

 

写真は昭和51年の夏に稲毛駅東京方の踏切で踏切警手の方の計らいで撮らさせてもらった113系臨時快速「青い海」(非冷房)。

 

 

その後は中学入学前から高架化と複々線化の工事が本格的に開始しましたが、キャンディーズ解散の昭和53年に親の転勤に伴い東京に戻ったので、その後の複々線化完成と稲毛快速停車を見ることなく数十年が過ぎてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、その後も10年間隔位で稲毛には立ち寄っていましたが、先日訪問した際の稲毛駅東口がこちら。

 

 

かつて住んでいたころからは当然複々線高架化によって駅周辺は大きく変わりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

駅東口側からロータリーを眺めると、写真左側のビルは記憶にはありませんが、正面2つのビルは当時の稲毛駅前東口の象徴的なビルでした。

 

 

通りを挟んだ向こう側は昭和50年頃は周辺唯一のスーパー西友でした。その後閉店しボウリング場になったようですが、それも閉場。いつビルが取り壊されてもいい感じ。

 

 

で、写真中央の細いビルは当時の稲毛の文化の象徴ともいうべき多田屋書店があったビルですが、多田屋書店も撤退していました。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、東口ロータリーの千葉寄りに目的の記念碑がありました。。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

快速電車稲毛駅停車考

 明治33年9月13日稲毛駅が出来た。昭和25年木造平屋建て20坪程の稲毛駅周辺はペンペン草が生えていた。

 稲毛海岸へは歩いて商店の前を通り一直線 小仲台方面は穴川町の陸軍戦車学校跡に建設省地理調査所があり現県立京葉工業高等学校 放射線医学研究所 小仲台は防空学校の跡地 この地に戦後厚生省留学業務部、公営住宅450戸、県立女子高校、千葉大学理学部があり、商店も住宅もなかった(現小仲台公民館、北部図書館、小仲台小学校、公務員住宅、千葉大学学生寮)。25年7月、稲毛駅東口開設促進会(会長 林三蔵、名誉会長千葉大学々長小池敬事氏、顧問建設省地理調査所々長武藤勝彦氏)を結成し11年の歳月を経て1千万円の金を集め国鉄に納入 昭和35年10月1日稲毛駅東口が出来た

 津田沼ー千葉間に急行電車を走らすため地元では、複々線と稲毛駅に快速電車停車促進会を結成し11年の歳月が流れ国鉄は460億円を負担し複々線が昭和56年4月完成 17億円を国が負担し昭和56年10月1日稲毛駅快速電車が止まった。

 稲毛駅東口がなかったら快速は止まらなかったであろう。

 今日の国鉄累積赤字9兆円 毎年1兆3千億円の赤字 職員37万4千人 国鉄の分割 民営論が叫ばれているが我々は複々線化と快速停車決行の国鉄に対し深く感謝の意を表したい。

 千葉鉄道管理局には、160の駅があり売上1位千葉・津田沼・船橋・稲毛となった。

 昨年来より稲毛駅東口を約8千万円で整備し、彫刻が東口に3 西口に1、計4体が建設され 全国にもめずらしい彫刻の駅となった。鉄道は国民の足であり 文化のバロメーターでもある。

 国鉄を愛し、鉄道の歴史をしのびつつ、1日10万人以上の乗降客、1千万円以上の売上がある稲毛駅をみて、誰が今昔の感に打たれざるものあらんや。

 

 昭和59年5月1日

  津田沼千葉間複々線化促進会

  稲毛駅快速電車停車促進会

   会長 林三蔵

 

 

私は小学3年の昭和49年に稲毛に転居し、それまでの東京多摩地区とは異なったある意味田舎暮らしにウンザリ。

 

 

翌昭和50年頃に千葉市議会議員選挙がありましたが、地元公園で軟式野球をやっていた小学4年の集団へやって来たのが映画評論家の淀川長治氏をちょっと太くよかにしたような白髪の林三蔵氏。

 

 

有権者ではない野球少年小学4年生約10名程度への大演説でした!!

 

 

当然家へ帰って今の話を親にしろ。という内容でしたが、あの田舎駅の稲毛へ快速停車を小学生相手に熱を帯びて論ずる姿は今も忘れられません!!

 

 

政党や思想は別として、今あのような地を這うような活動こそが本来の政治家の姿であったかと今更ながらに思う次第です。

 

 

総武快速の稲毛停車から40年近くが経ちましたが、稲毛に住む人達は先人の偉業に感謝をしなければならないでしょう。