常磐線の赤電を待っていると山手線の「ハチ公100周年」HM付編成がやってきましたが、突然でしたので露出はメタメタ。

 

 

で、今回は駅後ろの森について。

 

 

この森は上野寛永寺の徳川将軍家の墓所。

 

 

かつては日光東照宮と同じような華麗で壮大な徳川歴代将軍の墓所が芝増上寺と上野寛永寺に造られました。

 

 

増上寺も寛永寺も戦災の影響で華麗な霊廟建築物の大半は消失。

 

 

ただ、増上寺と寛永寺の違いは増上寺に葬られた歴代将軍は戦後に火葬の上で現在の徳川将軍家墓所の1箇所に改葬されましたが、上野寛永寺はそのまま??

 

 

で、上野寛永寺の徳川将軍家墓所は鶯谷駅西側の森は駅舎後と少し間を空けた日暮里寄りの2箇所。

 

 

十数年前に鶯谷駅の真後が徳川将軍家の墓所と初めて知った際は驚きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

駅を下りて日暮里側にある寛永寺本堂へ向かって歩くと朱塗りの門が。

 

 

今でこそ色褪せていますが、案内板には厳有院霊廟、勅使門と書かれていましたので、4代将軍家綱霊廟の勅使門です。

 

 

徳川将軍家霊廟は歴代将軍は何れも初代家康に則っていますが、勅額門の後は中門や廟があり、事実上のお墓である宝塔がある奥院はその更に奥。

 

 

寛永寺の場合、写真の家綱公の勅使門は残りましたが、宝塔がある奥院までの霊廟建築物は戦災で消失したのでしょう。

 

 

現在は門から先は一般人の墓所になっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは上野寛永寺将軍家墓所南側の宝塔がある墓所。

 

 

奥院自体はそのままのようですが、宝塔を守る石垣が時の権力者の威厳の様に見えます。

 

 

 

この森の向こうは線路です。