実家には畳の部屋が多く、と言うよりも、ほとんど畳の部屋。土間と広い玄関と広い縁側は田舎ならではの光景ですが、茶道を始めるまで、ただの畳の部屋でした。


でも、畳を歩くことで意識もしていなかった和室が、全く違うものに感じられるようになったのは一番の驚きでした。

知らないということの何ともったいなく、また恥ずかしいことかと実感することにもなり、目から鱗の世界が広がりました。


畳のヘリを踏まない、足は右から入ったら帰りは左で出る。私は裏千家ですが、表千家では足はその逆になります。このことは深く考えずに、そういうものと認識していたものの、陰陽五行学を学んで、すーっと腑に落ちて身体で納得もしました。


畳、床の間、和の建築の決まり事など、少しずつ知ることになっていく中で、先生に言われた言葉は、今も私の中の大切なバイブルにもなっています。


それは


「知っていて、やらないのは宜しい,

また逆も然り」


でも、


「知らないでやる、知らないでやらないのはダメです。」それは良くよく考えると怖いことで、理解の上での足し算引き算はそれは粋の世界にも通じるけれど、知らないということは場合によっては罪深いことにもなってしまう。


そのような事を、何気ない、いつものお稽古で淡々とおっしゃって。知るという事、学ぶという事、習うという事が一つの線に繋がっていて「恥を知る」にも通じるのだなぁと、今、こうして教える立場になって初めて師匠の言葉も思い出しながら背筋が伸びる思いです。


お稽古はまずは畳をきちんと歩くことから始まります。半畳を2歩で歩き、綺麗なものを運ぶ時の足の動き方、汚れたものを下げる時の足の捌き方には違いがありました。

新婚当時は賃貸に住んでいたものの、運よく畳の部屋があったので、歩く練習をよくしたものです。


それでも、じっとして和菓子をいただきながら茶が点つまでの間、また慣れないなかでの初点前などは時間が人一倍かかり、足の感覚がなくなり、


「はい、じゃあ左足を立てて帰って」と言われて

「はい」

返事は良いが、誰の足?私の足は今どこ?


足の痺れは、感覚が無くなる前にこまめに直して行けば難を逃れる事ができます。


まず、座る時も、踵開いてその窪みにお尻を据えます。そして、膝は拳一個分くらいを空ける。


だんだんと長くやっていくうちに、座れる足になっていくのですから人体は不思議です。


それでも痺れたら、座ったまま、つま先を立てて踵を持ち上げで、その踵にお尻をしっかりと体重をかけて乗せます。 

少しそうしていると、感覚が戻り、また座れるまで回復が早く、しかもあまり目立たずに継続する事ができるようになります。


今は椅子が多くなった法事ですが、昔はお坊さんのお経を聞きながら、いざお焼香となって動けなかったり、転んだりということもありました。


足と畳、床の間


日本文化は。何も知らなければただの部屋。

畳の部屋は茶の間にもなれば寝室にもなりますが、足の運び方で茶室にも変わる、とても懐の深いものです。


一家に一つの畳の部屋、大切にしたいものです。