実はわたし看護学校の願書に高度先端医療を学びたいに相応しい大学病院附属学校に入ったことがあり
願書にもそれを書いてました。なんと合格してしまい
ました。
偶然にも、
入学試験前に
紀伊國屋で立ち読みした過去問の問題の漢字の
健やかがテストに出ました。
よっしゃ〜と思った瞬間でした。
クレペリンテストを受け
デッサンの試験まであった看護学校入試試験でした。
血圧計を持ったナースを描きました。
その木なんの木かわかりませんが、
木も描いた気はします。何故描いたかというと
みのなる木を描いたらなんか縁起がよいと思ってたからです。がんかけですね。
見事に合格しました
よく出来た要領が良い
同級生が、うやらみました。
3人受けて1人滑りましたが、
その1人はかなり優秀だったから
わたしは、まぐれかも?
運が良かったとか思いました。
入試試験の日の食堂で食べたハンバーグ定食は
かなり美味しくホテルみたいでした。
しかし同時に、田舎の看護学校も合格してしまいました。食堂はつぶれてました。
挨拶はやたらスローで、起立 礼 着席までの時間が
長く 大阪気質のわたしには、やっていける自信は一日のはじまりから失った感じた田舎の学校に行くことになったのは、わたしには、お金がなかった社会人入学だったからです。そちらが経済的に安定出来る学生生活をおくれると思ったからでした。またそちらには
大切な友人や知人がいたからです。
学校では
健やかに育てられたか
否かは
卒後
ふるいにかけられ
配属されていきました。
また
岐路がそこにありました。
実習したことがなかった
脳外科と
整形外科の混合病棟に配属されてしまったのは
家から近かったから第三希望までの病院に配属され
ました。
またもや高度先端医療から落選したコースの
配属希望病院でした。
くる日も来る日も
救急車の音の中での生活が始まりました...
そろそろ
岐路で悩まれてる
学生さんたちの相談会もしたくなりました…。