2年越しの願いを叶える出雲大社参拝。

(ブログ:2007年◆◇出雲大社へ一人旅vol.1

行くのであればもちろん『神在月』です。


それは10月


全国の神様が出雲に集まり、男女の縁結びを協議する為、

地元の神社をお留守にする。出雲には神様がいるが、他の

土地はいない、だから出雲神大社以外の地域は『神無月』

と言います。


ところが、出雲以外にも『神在月』の神社が存在します。

それは…


長野県諏訪大社


諏訪の神様は身体がとても大きいので、わざわざ出雲まで

お越しいただかなくても…との理由で、諏訪大社近辺では

『神在月』となっています。

これは並々ならぬ特別扱い。


日本神道の頂点の神様である『天照大御神』ですら、この月

は出雲に出向かれるのです。


一番最初に出雲に到着、一番最後にお帰りになられる。


諏訪の地を離れず『縁結び』の協議に影響力を持つ諏訪の

神様が、いかに別格であるかが想像できます。


※私が考える出雲・諏訪の神様エピソードは、追々書きたいと

思っています。




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【大社造り】


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出雲大社(いずもおおやしろ)に代表される大社造は、伊勢神宮

代表される神明造住吉大社 に代表される住吉造 と共に、もっとも

古い神社建築様式とされる。

神明造が奥行きより幅が大きい長方形で、高床式倉庫 から発展し

穀物 の代わりに神宝 を納めるように変化したものと考えられ、住吉造

大嘗祭 の建物に近似しているのに対して、大社造はほぼ正方形

の古典的な日本家屋に近い「田の字」形であることから、祭祀の場

に使われていた宮殿 が社殿に発展したと考えられている。

その理由として、出雲大社の背後にある八雲山が神体であったと

する説がある。出雲大社の社殿 に関しては鎌倉時代 以降は記録が

残されているが、それ以前に関しては不明であるため、延享 元年

1744年 )建立の現社殿が基本形とされる。

※【ウィキペディア より】


御神体が八雲山だったという説、奈良県大神神社を例にとっても、

その通りだと思います。



大社造の歴史


歴史は古いが、その創始については記録に残っていないため定か

でない。弥生時代 の遺跡の柱の遺構が大社造の柱の配置に似て

いるため、高床式住居が発展したものと考えられている。

延享元年(1744年)建立の出雲大社の社殿の高さは、約24mと巨大

である。

21世紀に現存する大社造の社殿としては、山陰地方の島根県 松江市

大庭町にある神魂神社かもすじんじゃ)の本殿が室町時代

正平元年(1346年 )で最古である。神魂神社本殿は、大社造の古式

に則った最古の建造物であることから1952年 (昭和27年)3月に国宝

に指定された。

※【ウィキペディア より】



『神在月』ということで、境内は観光ツアーでワラワラしていました。

通常ではこの“人間”の気流に飲み込まれて流されてしまうところ

ですが、ここは違いましたね~ワラワラながらも『存在感』が抜群

でした。まさに、



存在していることに感謝する



【注連縄(しめなわ)】



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現在の神社神道 では「社(やしろ)」・神域現世 を隔てる結界 の役割

を意味します。



また、出雲大社は通常の参拝方式征服の文様に違いがあります。


二拝四拍手 一拝の作法で拝礼


宮司の正服の紋様は神社本庁 の定める黒綾文輪なし裏同色平絹では

なく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角 の文様を練り込んだもので

あり他に類を見ません。


現在も、皇室の方といえども本殿内までは入れないしきたりを守り

続けている



言葉で表すことより体感の震えがきました。

参拝して分かります。


が…体感の震えと言えば、出雲大社以上の神社がありました