「天才」と「努力」 | Challenge = Trial and Error 毎日試行錯誤

「天才」と「努力」

ずっと考えていたこと。


この大学に来るようになって、初対面の人に

「すごいね、天才?」

とか

「めっちゃ努力したんやね」

とか言われることが少なからずあった。

どちらも、言われてものすごく気持ちの悪いものであった。


まず、天才というものの定義から。

天才というのは身に生まれつき持った能力、性質のこと。

つまり、それは何らかの形で引き出される場合もあるかもしれないが

基本的には自然と才能が発露するような人のことを

多く指しているように思える。

特に、人のことを褒めて「天才だね」なんていうときには

その傾向は顕著だ。


こういう観点からたつと、

「努力が天才を生み出す」

という表現は、表面的には正しくないことになる。

「努力が才能を引き出す」ことはあっても、

天才はもともとの才能だから、生まれたり増えたりするものでは

ないだろう。


一方で、

努力という言葉もまた難しい。

「ある目的のために力を尽くして励むこと」とある辞書には

記されているが、

個人的な印象としては

「たくさん時間をかけた」とか「とにかく量をやった」だとか、

とかく定量化して捉えられがちだ。


そこで、この通俗的な意味としての「天才」と「努力」は

両極に対峙することになる。

天才は努力する必要がないからだ。

そして、自分はもともと才能を自然と発揮できていたとは思わないし

かといってありえない時間、量を費やして勉強したかといわれると

それもそれで違うから、

「天才」といわれることも「努力家」といわれることも嫌いだ。


(そのうち続く)