主体的に
怒られて走っているのは走ったうちに入らない。
怒られて怒鳴ってるのは声を出したうちに入らない。
フィットネストレーニングのときにずっと言われてきたこと。
怒られて、やらされて、やっているうちは
トレーニングと自分の意識に隔たりがあるから、
いざというときに役に立たない。
大体試合中に走るのは、「走れ」と言われるからではない。
試合中に声を出すのは、「声を出せ」と言われるからではない。
走る必要があるから、声を出す必要があるから
走るし、声を出す。
フィットネスに限らないが、トレーニングをやる時には
そのトレーニングをやることにやって伸びた能力を
試合のどういう場面で使うのか、イメージすると効率が上がるという。
だから、走るときは味方がキックを蹴った瞬間を思い浮かべるとか
声を出すときは試合の勝負どころで味方に指示を出す瞬間を思い浮かべるとか
そういうイメージを持てばいい。
周りにいる人間に走って欲しいなら
そういうイメージを持たせられるように指示すればいい。
難しいよね。頭では分かってても。
でも、自分の中でイメージを持つことは、大分慣れてきた。
今度は周りの人間にどれだけ意識付けさせられるかが課題。
ラグビーでなくても一緒やね。
今やってる仕事が最終的にプロジェクトにどういう風に関わっていくのか。
今やっている勉強が試験のどの部分を目標としているのか。
そういうことを考えずにがむしゃらにやっても
あまり効率はよくないのと一緒なんやと思う。