家族優先の窮屈な日々から
ひとり時間も家族仲も満たされるママレスキュー
よこた椿です。





【乗り越えない】




10数年前のことです。


親戚の子が20歳で急逝しました。
病気によるものではあったが、あまりにも突然のことで。





お通夜のときだったか
葬儀のときだったか
それすらも覚えていないのですが


導師さまの法話で
いまも心に残っていることがあります。



それは。。。









よく、悲しみを乗り越えて、という表現があるが
乗り越えなくていい。

乗り越えられるものでもない。

ではどうするかというと
その悲しみを携えて
一緒に進む、ということ。







一言一句正確ではありませんが
このような内容で。







わたし自身
自分が20歳の時に父親が急死しており(急性心不全)

携えて一緒に進む、ということが
とてもしっくりして
そうだよなぁ、と深く感じ入ったのでした。







また
乗り越えて、というと
その人をそこに置いて自分たちは先に行く、となるから…
と言うようなお話もあったと記憶しています。










以降、わたしの中では
携えて一緒に、ということが
大切なものとなって


近しい人の死のみならず
自分の身に起きた、悲しみや苦しみ
自分が感じた、辛さや絶望感


そういったものも
ある意味
傍らに携えている感があります。






過去に縛られるとか
いつまでも忘れないでいる、ということでは決して無く


携えているものも
わたしを構成する一部だから。


大切なのは
携えて一緒に前へ前へと進むこと。



そう。
わたしは
前へ進んでいます。












亡くなった親戚の子。
その子の名付け親は

わたし。





当時、小学生だったわたしは
元気に生まれてきたその子が可愛くて可愛くて


その子の母親に
「椿ちゃん。この子の名前、考えて(^^)」と言われ


本気にして
真面目に真剣に幾つかの名前を考えて


その中から本当に名前が付けられたのでした。




驚いたけど嬉しくて
だからこそ
その子には特別な気持ちがあって。。。









急逝した時。
わたしの考えた名前がよくなかったのかと
ひとり悩んだこともありました。




いまも、その子のことを思うと
涙がでます。。。

携えて、一緒に。。。





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