私がスープストックトーキョーと出会ったのは、出産を終えた後だった。
 
名前は聞いたことがあるし、お店の前を通りかかったこともある。
でも、入ろうと思わず、食べようとも思わなかった。
 
なぜか。「スープをチェーン店で食べるなんて。(地元には美味しくてあったかくて素敵なスープ屋さんがあったのだ。)
どうせ世界のいろんなスープを集めてきました~ みたいな感じでしょ。」
 
今考えると失礼極まりない決めつけだったように思う。
 
 
 
産後、あまりの忙しさに多忙を極めていた。
そのころ、とあるSNSの産後ママ界隈を覗いていると、”出産のお祝いはスープストックがよ””産後、スープストックに助けられた!”みたいなポストを目にするようになった。
ここで、スープストックとは何ぞや という疑問と向き合うことになる。
 
 
そもそも、スープストックトーキョーは、チェーン店のスープ屋さんであって、家庭…ましてや産後に気軽に食べられるものではないだろうと考えていた。
そしてSNSに貼られたリンク。
 
何ぞ?と思いながらクリックすると、そこには多種多様なスープの数々が掲載された通販ページにたどり着く。
 
暑くなりましたが、朝、「今日は元気を注入したいな。」というときは冷凍庫から取り出して食べます、スープストックトーキョー。
この日は「東京ボルシチ」。お店のsignature。
 

 

 

 

きっとトマトが入る前はあめ色だったであろう玉ねぎと、肉厚ジューシーな豚のかけらが口の中でおどります。

 

家で作るボルシチはトマト缶による強めの酸味で乳脂肪分(サワークリーム)なしでは物足りない感じですが、東京ボルシチはお肉と玉ねぎの甘味で酸味が抑えられて、これだけでも十分おいしく食べられます。

 

 

これを食べた朝に思い立って、毎週愛聴している「味な副音声」の「WE LOVE スープストックトーキョー!」を聞き直す。

2回続けて、スープストックトーキョーを立ち上げた遠山正道さんがゲスト。

 

「おはぎみたいなスープってできないかな?」

 ※おはぎ=既存の常識(すでに評価されているもの)ではなく、オリジナリティ。食事でもおやつでもおかずでもある独自の立ち位置。他にはないもの。

「自分たちって何?何を届けたいの?」「作品性」

「SOUP For ALL」

 

 

 
「社会的私欲」「公私同梱」
「”好奇心”みたいなものって意外とノイズだったりもするわけじゃないですか。結構ずっと向き合い続けていくと疲れちゃうから、みんな割と流し流してってありがちなんだけど、それ全部”1個ずつときめき続けてる”っていうのが本当にすごいことなんだなって」
「ピクニック紀」
「ピクニックはスポーツと違って勝敗もないし目的やゴールもなくて”ただ楽しい”というか。」
「ピクニックって、呼ばれないと参加できない。なんかみんなでランランやってる、朗らかで楽しいだけかっていうとそうでもなくて。」
「ピクニックに呼ばれないと参加できないわけですよ。じゃあどういう人が呼ばれるかっていうと、まだわかんないけれども多分今までの能力とちょっと違うと思うんだよね。
「"猫みたいな人"が呼ばれるにふさわしい?」
「”ただあるだけ"の価値にならないといけない」
 
 
こういう大人になりたい。
 
 
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誰からも嫌われないように生きよう、なんて思っていたけど、それだと自分を活かしきれないな、と感じる日々。
価値観がぐにゃぐにゃしていて、それは自由自在に自分を変えていける柔軟性でもあるなんて思っていた。でもそれは間違い、きっと。
 
当たり前のことをつい最近認識して、実践しかけている。
 
大人だって完璧じゃない。そんなのわかってる。
でも、なんだか恥ずかしい。
 
嫌われる勇気。
 
偏った先に残るものはきっと光だとおもう。
 
それを信じる。
 
(本音を書くのは格好悪いと思っていた。でも、本音を綴ると毎回涙が出る。)