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フランスのお母さんの続き

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こんばんは。椿姫彩菜です。

今日も19時過ぎからいつものレギュラー番組、TOKYO FM WONDERFUL WORLDに出演します。
今日はデコ電などの、デコについて取材したりお話します。皆様ぜひぜひ聞いてくださいね。

そして今日は前に書いた私の三人目のお母さんの話フランスに留学に行った時の続きを書こうと思います。

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その週末ミミとフェリックスと私と三人で、
散歩に行くことになった。
少し緊張するけど、受け入れてくれたことで、
すこし楽しみになった。

車で3人で山を登る。
そして途中の教会に立ち寄って、その近くの第2次世界大戦の傷跡を見て、
山の中の町で休憩することになった。

パン屋さんがあった。
いろんな形のパンがあって私は思わず魅入っていた。
するとミミが、
「パン食べたいの?おなかすいた?」
と言ったので、
「うーん・・・まぁまぁすいたかな。」
と答えた。
するとミミは

「自分の答えはきちんと、はいかいいえで答えなきゃだめよ?
食べるか食べないか、どちらかよ。自分の意見はきちんと
言わないとね。」

と言った。差しさわりの無い答えをしがちな日本文化、
を感じた気がした。でも、それを叱ってくれたことは、
本当のお母さんみたいだった。

その後私は車酔いの吐き気が急に襲ってきて、
山道で吐いてしまった。なんかすべてのもやもやと
した気持ちも、一緒に吐いたような気がした。

ぐったりする私を心底心配そうな顔をしながら、
二人は家に帰ろう、と言った。
二人は完全に山登り用に服装を決め、
プランを決め、荷物も持っていたのに・・・。
帰りの車の後部座席で横になりながら私は、
泣いてしまった。そして何回も謝った。
でも二人は気にすることは無い、だれでも
体調は崩す、そう励ましてくれた。
弱っていたせいもあってか、二人の優しさが、ものすごい
身にしみた。

本当の家族みたい。

私は当時日本の家族の中では自分を出せず、
常に険悪な雰囲気だったので、すごく温かかった。

その時は電子辞書がまだ無かったので、
家の中では仏和と和仏を常に持ち歩いて、
より、コミュニケーションをとろうとした。
ミミはいつも辞書をわたわた探している私を、
微笑みながら見つめていた。子供を見る親のように。

一回だけ。ミミが私について話していた。
私の学校の先生が家庭訪問に来た時。
ミミは、

「もうちょっと男の子らしく、たくましくならないと
弱弱しくてしんぱいだわ。」

と先生に話していた。聞こえない、振りをした。
自分から、触れたくなかった。

そして、別れはあっというまだった。
仲良くなったからこそ、時が経つのがすごく早く感じた。
別れの時。
ミミと私はぎゅっときつく抱き合った。
私は、たくさんたくさん話したいことがあったはずなのに、

「私を忘れないでね、ミミ。お願い、忘れないでね。」

とばかり言っていた。

するとミミは

「そんなこと言わないのよ・・・親が子供のことを忘れないのは当たり前の
ことでしょう?あなたは私の子供なんだから。手紙、ちょうだいね。
日本に行く時は、かならずあなたが案内してね。あと、元気な姿を
写真で送ってちょうだいね。」

と言った。二人とも目が真っ赤だった。
でも泣いていなかった。

ミミが、

「会えなくなるわけじゃない。すこし遠くに行くだけ。
どこにいても家族は家族。だから笑ってね。
笑ってお別れね。」

と言っていたから。


「さようなら。」


と言って玄関を出て、お互い背中を向けた時、
ぐずっ、と鼻をすする音がして、私も、
視界が一気にぼやけた。




いろんなことがあった。
フランスの夜の家庭はなぜかみんな電気をほとんどつけないらしい。
夜本当に真っ暗で、ついているのは家でテレビだけ。
何かに私がぶつかってしまったら、ミミはすごく心配して
電気をたくさんつけてくれた。
シャワーが日本と使い勝手が違うのでシャワールームを
水浸しにしてしまったら、ミミがこうすればいいわね、
とウィンクしてタオルをたくさん敷いてくれた。
トイレの流し方がわからなくてトイレ前であたふたしていたら
心配して見に来てくれて、垂れている糸を引くのよ、と言った。
私がお米が好きと言ったら、お米のお菓子を用意してくれた。
フェリックスがお菓子の工場をしていたらしく、わざわざ用意して
くれたらしかった。
ratatouille nicoise(ニース風ラタトゥイユ)、bouche a la reine
(王妃のくちびる)という料理をわざわざ作ってくれた。
(マリーアントワネットが好物だったからこの名前がついたらしい。)
キッチンで鼻歌を口ずさみながら夕日をバックに、料理を作っているミミの
後姿が今でも頭を離れない。


手紙のお返事は来なかった。
おじいさんおばあさんだったので、アルファベットに癖があって
おそらく郵便局が読めずに返してしまったのだろう、と
先生は言った。
そして、私も激動の歳を重ね、家を出た。
その時に、ミミの住所も紛失してしまった。
悔やんでも悔やみきれない。




ミミ、今も元気にしていますか?

今、何をしていますか?

歌を歌っていますか?

日本の子供のことを覚えていますか?



最後に私のことを考えたのはいつですか?




あれから7年。
私は、今年で23歳になりました。
23年間で、一番後悔していることは、
ミミ、あなたに私の本当の心の部分を話せなかったことです。
一言、


「私は女の子で・・・体がちょっと間違って生まれてしまったの。」


そう言えたならよかった。


いつかまたフランスに行く機会があったなら、
直接会いたい。
会って話したい。
全部話したい。


ミミ、ずっと元気でいてね。
そしていつか日本を案内させてね。



日本の娘より。





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