ma famille francaise〜お母さん
こんばんわ。椿姫彩菜です。
今日は私がフランスにホームステイした時の体験記を書こうと思います。
結構前のことなので、忘れている所もありそうなんですが…
よかったら読んでくださいね♪
***********
初めて私がフランスに行ったのは高校一年生の時。
中学、高校とフランス語を習っていたので、ホームステイ&勉強のためにフランスへ行くことになった。
メンバーは第一外国語をフランス語に選択していた仲良しメンバー約10人とフランス語の先生。
予定としては約1ヶ月の旅。
マントン2週間、アヌシー一週間、パリ一週間。
このあいだに結局ベルギー、モナコ、スイス、イタリアにちょこっとづつ寄ることになった。
フランスに行くことが決まった時から、私の胸は初めて行くフランスに『ときめき』と『わくわく』を感じると同時に、果たして私はどう乗り切るのだろうかという
不安が胸にあった。
「私」が思う存分出せるのは学校の中だけ。
家でも、社会の中でもその時は自分をうまく出せず、
ただただ引け目に感じて人目ばかり気にしている、
そんな環境のまっただなかだったから。
そんな私がフランスに行く。
異国に行く。
一人でフランスの家庭に入る。
正直想像を絶する不安が当時の私の胸には常に押し寄せていた。
果たして受け入れてもらえるんだろうか。
私はどう接するんだろうか。
そんなことばかり考えながらホームステイの地、南仏のマントン(ニース、カンヌの近く。コートダジュール。イタリアとの国境に接している町)に足を踏み入れた。
マントンで通う学校でみんなファミリーの迎えを待つ。
一人一人仲良しの友達が引き取られていく。
その間はすごく・・・複雑な心境で。
その時、仲良し組の友達がぼそっと、
「お前、大丈夫?」
と私にたずねて。
あまりにもその一言にすべての意味が凝縮されていて。
心配してくれての一言なんだろうけど。
わかってる、その気持ちと同時にどう乗り越えるか決めかねている私を焦らせた。
その時…
迎えが来た。
来たのはおじいさん。。
優しそうな、ちょっとぽっちゃりしているおじいさん。
名前は…フェリックス。
友達に笑顔で、
「またね」
と言った私の顔はどんな感じだったのか、と後から聞いたら
ひどくこわばっていたとか。
家に向かう車の中、
お互い軽く自己紹介をし、軽く会話をする。
なんの差し障りもない会話。
だいたい学校でもどこでも。
ただでさえ日本人は華奢で男の子ですらかわいい、女の子ぽいと見られるのに、私は雰囲気、声、髪の毛、仕草、どれをとっても「男らしく」、なんてお世辞にももちろん言えなかった。
素性を知らせなくて良い場所では別に素の自分でいい。でも学校ホームステイ先では全部知らせなくてはならない。
滞在する3週間という間。
長く、長く感じていたと思う。
でもフェリックスは特に私に引いた様子はなかった。
逆に、もし心の中で引いていたらどうしよう、と
私は卑屈にもそんなことを邪推していた。
家に着くと、山のふもとのマンション、エレベーターは味のあるエレベーター。
案内された先には
Saligne(サリーニュ)
の表札が。
そこが私がステイすることになったサリーニュ家だった。
迎えてくれるおばあさん。
挨拶をし、抱擁をする。
『ミミと呼んでね。』
とおばあさんは言った。
愛称だと思う。ミミという愛称はフランス語にあることをこのときは知らなかった。
一瞬私の姿を上から下まで見て、
そして家の案内に入った。
今、この人は何を感じ、何を思ったんだろう。
そう考えながら、別に関係ない、私は仲良くしようと努めて、ここから学校に3週間通えばいいんだ。
そう、簡単なことだ、と思った、
あまり自分を出さなければ、傷つくことも少なくてすむ。そんなことを着いて早々考えた。
そして時差ぼけで眠くなっていた私は、疲れたのでといって自分の部屋に入り、荷物整理をして眠りについた。
靴で部屋を歩くことも不自然で仕方なかったし、
こまかいところが伝わらないこと、理解できないことが早速でていたので、寝ても不安が頭を離れなかった。
翌朝からは家から歩いて1時間半かけて毎日学校へ通学することになっていた。
キッチンに呼ばれると、朝ごはんが用意されていた。
朝ごはんといってもフランス人はあんまり食べないらしい。
ボールにコーヒー、ココア、紅茶などを入れて、パンや、ビスキュイ(乾パンみたいなもの?)などを浸して食べて、それで終わりだ。
私は朝はがっつり食べるタイプだったので物足りなかったが、早く学校へ行きたい、そう思って家を足早に出た。
そう、学校には友達がいる。
私を出せる・・・
一時間半は全然苦痛じゃなかった。
綺麗な町並み、新鮮な異文化、
退屈な時間など一秒もなかった。
通りすがる犬の散歩をしているおじいさんと会話を交わしている時に、
「japonaise」
と私を形容したのを聞いた。
japonaisが日本人(男)。
japonaiseが日本人(女)。
この人には素性を知られないから、「楽」だ。
その時そう思った。
授業が終わっても、家に帰るのが気まずくて学校に友達と残っていた。
…やっと家に帰ると、待ちくたびれていたファミリーと、心のこもったご馳走が、冷えて待っていた。
何をしていたの?という質問に、
友達と遊んでいた、と答えると、子供にあきれる親の顔をしていた。
このときに、申し訳ないことをしたな、と思った。
夫婦二人の娘夫婦、孫も来ていた。みんなすごくきさくで、優しかった。
日本の話になった時に、
「日本人はみんな相撲取りを目指すんでしょ?」
「お刺身を食べたことがあるわ。ご飯をはっぱとお魚で包んだものでしょ?」
「みんなそろばんを持っているんでしょ?」
とか、なんか日本のことを楽しそうにたずねてくる家族に、私は笑った。家に来て、初めて心から笑った。
テレビをつけるとちょんまげで腹切り、みたいな日本人が出てきたりしたのは正直びっくりしたが、ちゃんとみんなに説明をした。
なんだ、普通に話ができるじゃないか、私。
ちょっと肩の力が抜けた気がした。
ミミが、一家全員の集合写真を持ってきた。
そして私の目の前で、
「ta famille francaise(あなたのフランスの家族)」
と書いて私に渡した。
こんな早く私を家族扱いしていいの?
そう思ったけど、嬉しかった。
受け入れてもらえるって、日々当たり前のように感じることだけど、このときの私にはすごく嬉しかった。
なんというか、
『まぶしかった。』
変な表現だけど、そんな感じだった。
続く。
彩菜へメール
tsubakiayana@yahoo.co.jp
今日は私がフランスにホームステイした時の体験記を書こうと思います。
結構前のことなので、忘れている所もありそうなんですが…
よかったら読んでくださいね♪
***********
初めて私がフランスに行ったのは高校一年生の時。
中学、高校とフランス語を習っていたので、ホームステイ&勉強のためにフランスへ行くことになった。
メンバーは第一外国語をフランス語に選択していた仲良しメンバー約10人とフランス語の先生。
予定としては約1ヶ月の旅。
マントン2週間、アヌシー一週間、パリ一週間。
このあいだに結局ベルギー、モナコ、スイス、イタリアにちょこっとづつ寄ることになった。
フランスに行くことが決まった時から、私の胸は初めて行くフランスに『ときめき』と『わくわく』を感じると同時に、果たして私はどう乗り切るのだろうかという
不安が胸にあった。
「私」が思う存分出せるのは学校の中だけ。
家でも、社会の中でもその時は自分をうまく出せず、
ただただ引け目に感じて人目ばかり気にしている、
そんな環境のまっただなかだったから。
そんな私がフランスに行く。
異国に行く。
一人でフランスの家庭に入る。
正直想像を絶する不安が当時の私の胸には常に押し寄せていた。
果たして受け入れてもらえるんだろうか。
私はどう接するんだろうか。
そんなことばかり考えながらホームステイの地、南仏のマントン(ニース、カンヌの近く。コートダジュール。イタリアとの国境に接している町)に足を踏み入れた。
マントンで通う学校でみんなファミリーの迎えを待つ。
一人一人仲良しの友達が引き取られていく。
その間はすごく・・・複雑な心境で。
その時、仲良し組の友達がぼそっと、
「お前、大丈夫?」
と私にたずねて。
あまりにもその一言にすべての意味が凝縮されていて。
心配してくれての一言なんだろうけど。
わかってる、その気持ちと同時にどう乗り越えるか決めかねている私を焦らせた。
その時…
迎えが来た。
来たのはおじいさん。。
優しそうな、ちょっとぽっちゃりしているおじいさん。
名前は…フェリックス。
友達に笑顔で、
「またね」
と言った私の顔はどんな感じだったのか、と後から聞いたら
ひどくこわばっていたとか。
家に向かう車の中、
お互い軽く自己紹介をし、軽く会話をする。
なんの差し障りもない会話。
だいたい学校でもどこでも。
ただでさえ日本人は華奢で男の子ですらかわいい、女の子ぽいと見られるのに、私は雰囲気、声、髪の毛、仕草、どれをとっても「男らしく」、なんてお世辞にももちろん言えなかった。
素性を知らせなくて良い場所では別に素の自分でいい。でも学校ホームステイ先では全部知らせなくてはならない。
滞在する3週間という間。
長く、長く感じていたと思う。
でもフェリックスは特に私に引いた様子はなかった。
逆に、もし心の中で引いていたらどうしよう、と
私は卑屈にもそんなことを邪推していた。
家に着くと、山のふもとのマンション、エレベーターは味のあるエレベーター。
案内された先には
Saligne(サリーニュ)
の表札が。
そこが私がステイすることになったサリーニュ家だった。
迎えてくれるおばあさん。
挨拶をし、抱擁をする。
『ミミと呼んでね。』
とおばあさんは言った。
愛称だと思う。ミミという愛称はフランス語にあることをこのときは知らなかった。
一瞬私の姿を上から下まで見て、
そして家の案内に入った。
今、この人は何を感じ、何を思ったんだろう。
そう考えながら、別に関係ない、私は仲良くしようと努めて、ここから学校に3週間通えばいいんだ。
そう、簡単なことだ、と思った、
あまり自分を出さなければ、傷つくことも少なくてすむ。そんなことを着いて早々考えた。
そして時差ぼけで眠くなっていた私は、疲れたのでといって自分の部屋に入り、荷物整理をして眠りについた。
靴で部屋を歩くことも不自然で仕方なかったし、
こまかいところが伝わらないこと、理解できないことが早速でていたので、寝ても不安が頭を離れなかった。
翌朝からは家から歩いて1時間半かけて毎日学校へ通学することになっていた。
キッチンに呼ばれると、朝ごはんが用意されていた。
朝ごはんといってもフランス人はあんまり食べないらしい。
ボールにコーヒー、ココア、紅茶などを入れて、パンや、ビスキュイ(乾パンみたいなもの?)などを浸して食べて、それで終わりだ。
私は朝はがっつり食べるタイプだったので物足りなかったが、早く学校へ行きたい、そう思って家を足早に出た。
そう、学校には友達がいる。
私を出せる・・・
一時間半は全然苦痛じゃなかった。
綺麗な町並み、新鮮な異文化、
退屈な時間など一秒もなかった。
通りすがる犬の散歩をしているおじいさんと会話を交わしている時に、
「japonaise」
と私を形容したのを聞いた。
japonaisが日本人(男)。
japonaiseが日本人(女)。
この人には素性を知られないから、「楽」だ。
その時そう思った。
授業が終わっても、家に帰るのが気まずくて学校に友達と残っていた。
…やっと家に帰ると、待ちくたびれていたファミリーと、心のこもったご馳走が、冷えて待っていた。
何をしていたの?という質問に、
友達と遊んでいた、と答えると、子供にあきれる親の顔をしていた。
このときに、申し訳ないことをしたな、と思った。
夫婦二人の娘夫婦、孫も来ていた。みんなすごくきさくで、優しかった。
日本の話になった時に、
「日本人はみんな相撲取りを目指すんでしょ?」
「お刺身を食べたことがあるわ。ご飯をはっぱとお魚で包んだものでしょ?」
「みんなそろばんを持っているんでしょ?」
とか、なんか日本のことを楽しそうにたずねてくる家族に、私は笑った。家に来て、初めて心から笑った。
テレビをつけるとちょんまげで腹切り、みたいな日本人が出てきたりしたのは正直びっくりしたが、ちゃんとみんなに説明をした。
なんだ、普通に話ができるじゃないか、私。
ちょっと肩の力が抜けた気がした。
ミミが、一家全員の集合写真を持ってきた。
そして私の目の前で、
「ta famille francaise(あなたのフランスの家族)」
と書いて私に渡した。
こんな早く私を家族扱いしていいの?
そう思ったけど、嬉しかった。
受け入れてもらえるって、日々当たり前のように感じることだけど、このときの私にはすごく嬉しかった。
なんというか、
『まぶしかった。』
変な表現だけど、そんな感じだった。
続く。
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