こんにちわ。椿姫彩菜です。
今日は美容研究家の岡江美紀さんとお話したときに
心に残ったことを書こうと思います。
「あなたはまだ3歳。」
岡江さんに言われて衝撃的だった言葉。
私が仮に堂々と女として生活しだしたのが20才だとしたら
今23歳の私はまだ女として3歳ということでした。
私は戸籍も身体も20歳な時に変え女になりました。
戸籍変更するには
・ 子供がいない
・ 結婚していない
・ 20歳以上
・ 性転換済み
・ 2人以上の医者からGIDとの診断をされる。
上記を満たして国に訴えて裁判をする。
障害とされるわりに障害者手帳がないなど、保証は結構ない。
生命保険とかも自ら体をいじっているからはいりにくいとか。
でも。
戸籍変更しても骨格、内臓等はオトコなため、病院ではきちんと
自己申告したほうがいいと言われます。男と女で薬が違ったり。
ホルモン等の影響もあることもありますが、社会や周囲の人々に受け入れられずに、
精神的に病んでしまう人が非常に多い。欝になってしまったり、ひきこもりに
なってしまったり。
GIDの7割が自傷行為の経験あり。
自殺者も非常に多く、自殺を考えたことがある人は4割にものぼると
言われています。
オトコがらみもケースもありますが、社会や将来、周りへの失望からが
ほとんどです。
戸籍は変えられるといってもやはり社会ではいまだ馴染めない部分が多すぎる。
よっぽど声が高く、外見がよほど女で無いと働き口はやはり少ないらしい。
戸籍を変えていなければなおさら就職口は無い。
スポーツクラブやエステなどの一部の施設では戸籍を変えていても
入館を断られるケースも多い。
性転換手術では「死んでもかまいません」という署名を大体書かされる。
それほど危険な手術ということであります。
中高生のとき私は、周りの人達に恵まれ認められていたとは言え、
親の手前などもあり、100%女の子の生活だったとは
言えませんでした。
今思えば、女としてもっと堂々としたかった。
家では男の子を演じなければいけないところもあり、
戸籍が男ということで男を演じるところが社会の中でもあり。。
もちろん男子校だったので、男の子と堂々と付き合うことも
できなかった。。
普通の女の子みたいに、外で手をつないだり。
一緒にディズニーランドに行ったりしたかった。
だから少女漫画が好きでした。
中の女の子として素敵な恋ができたから。
少女漫画を読んだり。街中の学生カップルを見ると、
羨ましくて羨ましくて仕方がなかった。
正直、なにもかもが女としてマイナスからスタートだった。
生まれた時から心を存分に出せず、「男」という
レールを敷かれる。そしてその上を歩かされようとする。
だから、自分で「女」のレールを敷いた時から
私の第2の人生が始まったということなんです。
つまり私は今年でそれが大体3年目。
3歳。
でも。
その3歳はすごく重たい。
心も身体も生まれつきもっててたから当たり前に出来ることが私には今までできなかった思い、悔しかった思い、悲しかった思い。
すべてを感じているから。
だからこそわかる三歳の私。
普通に女として生まれた女の子の何倍も、何十倍苦痛に耐えなければスタート地点に立てなかった。
だから今までは本当に苦しかったり、辛かったことばかりが
頭に焼き付いて、私は自分の人生に否定的だった。
でも、その私にしかわからない
「3歳の女の子」の気持ちが勝手に動いていた。
何気ない私の仕草を見て女の子より女の子だねって言われてもなにが?どこが?とわからなかった。私にとっては普通なことだった。今まで自分を客観的に見れなかった。
私の生き方を見て、
「私の抱えているコンプレックスなんて軽いものですね。。。勇気をもらいました!」
ともいわれるようになった。それは本当にうれしいこと!
そういう風に言われることで私自身が生きる勇気をもらったし、これからやりたいことも気付かさせてくれた。
「女の幸せ」
を追求したい。
女の幸せのひとつの「出産」が私にはできない。
「母」になれない分一生
「女」でいなければならない。
プラスに考えれば一生「女」でいられる。
だから、自分の中の女の幸せに対するハングリーな気持ちを、
私の今までの人生を生かした、私にしかわからないような
価値観を、生かしていきながら女の幸せを追求し続けていけたら・・・
と思います。
周りから気付かさせてもらった私の生き方が私にとっての一番の女の幸せと私に力をもらいました。