よく耳にしますよね。
「神様は、その人が乗り越えられる試練しか与えない」
っていう、あのフレーズ。

でも、本当にどん底にいるときって、
「いやいや神様、私のこと過大評価しすぎ! 
完全なキャパオーバーですって!」
と、空に向かって全力でクレームを入れたくなります。

かくいう私も、
これまでの人生、公私ともに「もう勘弁してください」と

白旗を振りたい夜が何度もありました。
外から飛んでくる理不尽なトラブルに、

内側からじわじわ湧いてくる「生きる目的を見つけられない不満足感」

まさに、お釈迦様が仰った「人間道は苦(ドゥッカ)である」という発見は、
2500年経った今の私たちにとっても、
ぐうの音も出ないほどの大正解なんだなと痛感します。

ただここで一つ、
絶対に勘違いしちゃいけないことがあるんです。

それは、「世の中には、1秒たりとも耐えてはいけない苦しみがある」ということ。

例えば、ドメスティックバイオレンス(DV)のような、身体や心を壊す暴力。
これ、
絶対に「修行」だなんて思っちゃダメです。
神様が与えた試練? 
いいえ、それは単なる「理不尽な侵害」でしかありません。

仏教には「忍辱(にんにく)」という、
耐える徳のような教えもありますが、
それは暴力にさらされ続けることじゃない。
自分の命と尊厳を守るために、
そこから全力で「逃げる」「距離を置く」ことは、
逃げではなく、自分という尊い命を守るための正当な「アクション」です。

「いつか相手が変わってくれるかも」「私が耐えれば丸く収まる」

……その優しさは、残念ながらその場所では届きません。
まずは、泥沼から自分の足を引き抜くこと。
安全な場所へダッシュすること。
それが、今のあなたにとっての最優先事項なんです。

さて話を戻します。
「苦しみが晴れる日はくるの?」
「この先に、本当に明るい未来なんてあるの?」

そう思ってしまうのは、あなたが弱いからじゃありません。

ヴィパッサナー的にちょっとだけ俯瞰してみると、
面白いことに気づきます。

どんなに激しい嵐の日でもずっと空を眺めていると、
雲の形は1秒たりとも同じじゃない。

今、あなたが安全な場所を確保して、さらに苦しいのであれば、

「苦しみが完全に消える日」を待つより、

「苦しみはあるけれど、
  それと一緒に日向ぼっこできるくらいには慣れたかな」

と思える日が、案外ひょっこりとやってきたりします。

1秒だけ、自分を「他人事」にしてみる。

もし今、ほんの1秒だけ、

「あ、今、自分の中に『悲しみ』という巨大な波がザブーンと来てるな」

と、他人事のように実況中継をしてみてください。

波に飲み込まれていた自分が、

少しだけ「サーフボードに乗っている自分」に変わるはずです。

大丈夫。
この世に「永遠に止まない雨」が存在しないのは、物理法則が証明しています。

暴力からは全力で逃げる。
 そして、安全な場所でゆっくりと雨宿りをする。
  そうすれば、少しずつ、でも確実に、雲の切れ間は近づいてきます。

まずは深呼吸して、
自分に「よく頑張って逃げてきたね、お疲れ様」
と言ってあげるところから始めてみませんか。

お読みいただき有難う御座いました。
 
 善い縁起となりますように。
  あなたが諸天善神に守られ幸せでありますように。
   全ての生命に感謝いたします。