この間mixiのコラムに載っていた記事。『抱きたいカンケイ』っていう映画の批評コラムでした。
脚本のエリザベス・メリウェザーの言葉を引用します。
「相手との関係を肉体だけにとどめて、そのほかの感情が関わってくるようになったら、さっさと船をおりてよい!と合意したうえで付き合うというコンセプト。これは自分の願望をかなえたものともいえますね。」
監督のアイヴァン・ライトマンの言葉を引用します。
「いまは、男女の友情をもちながらセックスしてもいいじゃない?という時代になった。それが面白いと思ったんだ。」「心を通い合わせる恋愛よりも、会ってすぐセックスを楽しむ男女関係の方が楽なんだよ、今の人たちは。」
うーん
セックスとは根本的になんなのか、って事を忘れたようですね。命を生み出すことのできる行為だよ。大切な行為でしょう。だからといって不妊の方がセックスし放題していいかっていうとそういうわけでもない。まぁそれについては後日考えるとして。今日は我慢、という点から考えてみたいと思う。
自由なことが美徳。一方、我慢する・耐える、ということは苦しいことで、できればないほうがいい。という考え方がこういう風潮を生みだしているのだろうか。ほかの動物の方がもっと理性的なセックスをしている気がする。相手を見極めてするでしょう。
誰それ構わず交わるなんてほんと怖い。HIVだって性病だって、女の人は子宮頚がんだって、セックスによってなる確率が上がるんだよね?食欲や睡眠欲を満たすのと同じように性欲を満たすのは違うと思う。ここでの「性欲を満たす」はセックスすること、ね。マスターベーションでなんとかしてよ。って思うんだけど…。それならなにも問題はないと思うけど。
最近、我慢できない人がほんと多い気がする。自分のしたいことを曲げない、とか貫く、とかそういうのとは違う。自分の事しか考えてなくて、自分さえよければなんでもいい、って考えがちらりと見える感じ。
して、このセックスの問題に関しては、一部の女性が自由をはきちがえてると思う。
昔々「政治や仕事に対して男性と同等の権利が、自由がほしい」っていう女性が立ち上がって、今の世界を作り上げてきたわけだけど、この映画にあるように、セックスに自由を求めるのは違うと思うんだよなぁ…。男性の考えるセックスと、女性の考えるセックスが同じ価値観になってしまうのは怖い。男性の考えるセックスが軽い、って言ってるわけじゃないよ。
ただ、女性は受け入れる側なんだから、選ぶ権利がある、むしろ選ばなきゃならない。権利じゃなくて義務だと思うね。性欲がわいた時に誰とでもセックスできる、っていうのが自由で素敵な事だっていうのは間違ってると思う。
セックスがどんどん軽い行為になっていくのがほんとにこわい。一部の人だけなんだろうけど。
あぁ、性欲ってなんなんだろう。やっぱり生殖に関わる事なんだとは思うけど、いま快楽とか愛だとかなんだとかって生殖以外の事に目が向けられがちだからわかんないや。なんなんだろう。難しい。
とにかく。
自由なセックス、なんて大反対だ!!!ってこと。
つーやん
