今日で、レッスン打ち切りです。
3度目の正直かな。
もう来ないだろうな…
「前に2度打ち切ってるから、もう自分からは打ち切らない」って言ってたのになぁ…
3度目来たときに、
私は「◯◯さんが一方的に教えるという考えだと、レッスン再開しても前と同じですよ。私は互いに教え合いたい。互いに意見を言い合いたいんです。」と言ったんです。
そしたら、
「議論という形は初めてなので、もう一度レッスンを始めたい。」
と言ってくれたんです。
そのときは嬉しかったです。
でも、やっぱりレッスンしていくと、組織の教えを伝えるのみ。
私の意見には聞く耳もたず、というか、一応聞くには聞くけど、深く考えようとせず、サラッと流される。
正直、だんだん、この人のガチガチの統治体信仰は変わらないだろうな…レッスンしんどいなって思ってました。
それでも、チャンスを与えて頂いてるなら、頑張ろうと思っていたんですが。
私も愚かな者で、ついつい感情的になってしまいました。前回は初めての人がいたので、冷静にいられたのでしょうかね?
慣れてくると、やっぱり感情も出てきてしまうのかな😓傲慢さもあったのかもしれません💦
レッスン内容は「本物のクリスチャンはどんな人たち?」でした。
レッスン中に私が「クリスチャンの定義ってありますか?例えば、神を信じたらクリスチャンとか、伝道を行ったらクリスチャンとか。」
私は、「信じたらクリスチャンになる。クリスチャンになってからその人の生活は変わっていくのではないですか?」
ヨハネ3:16の聖句も参考にして答えました。
また、前にも言いましたが
「集会に行けなかったらバプテスマも受けれない。ということには納得できないです。」
という話からエスカレートしちゃいました😝
以前頂いたコメントで、使徒の記録も伝えました。(使徒8:36,16:33,18:8)
めぐみさん、教えてくださってありがとうございます☺️
それでも、やっぱり彼女にとっては統治体の言うことが絶対なんだそうです。100%絶対なんですって!!怖っ😱
バプテスマには段階が必要で、まず油注がれた忠実で思慮深い奴隷(統治体)のことを信じなければならないのだと。
「でも、そんなこと聖書に書いてあるんですか?」って聞くと、
「あなたはまだ全体のことが見えていない。大きいパズルの一部しかできていない。私は最後の1ピースがはまって確実な信仰ができた。
だから、私はあなたをクリスチャンとは思っていません。」
もう、プチッ💢です!
もう、きっと今日で最後になるだろうと思って、けっこう言いたいこと言いました。
「エホバの証人は、自分達だけが正しいと思っています。私の意見を全く受け入れない。それでも今までの私の意見を否定できたことありますか?」
「排斥された方の意見とか聞いたことあるんですか?
なんで、聞きもせずに、その人が悪だと決めつけるんですか?」
「黄色い本『聖書は実際に何を教えていますか』に偽札の話がありましたが、本物が分かっていたら全ての偽札を調べる必要はない。と書いてありました。でも、まず本物が分からないから調べるんですよね。本物だと思ってる意見しか聞かなかったら、それが本物ってどうやって確かめるんですか?」
「前回、見解を調整するって話がありましたが、例えばもしも、輸血がオッケー!ってなったら、今までにそれで命を失った方はどうなるんですか?」
「誕生日を祝ったらいけないって、どこに書いてあるんですか?聖書には悪い誕生日の例を2回くらい書いてあるだけですよね。聖書の話を膨らませて、人間の考えが入り込んでるんですよ!」
などなど… で、終了。
これで、よかったのか、悪かったのか、分かんないけど、まっ、自分のすべきことに集中!
ってことで、またチャンスを与えられたら頑張ります😁
最後に、「またよかったら、集会には来てくださいね!」って言われた😨
「考えます。」と答えました。
行くべきなのか、どうなのか、分かりません。
まっ、心の声に従います。
その声が神様からの声でありますように❤️