久しぶりに家族水入らずでお正月を迎えようとしていた矢先の12月31日が明けて
1月1日元旦 夜中の3時半頃、
携帯電話の音で起こされた。
施設からの電話で母が下血したとのこと。
しかも量がかなり多いらしく担当医師が直接電話してきたのだ。

夜中の電話と直接先生からの声でボーッとした頭の中で、以前ももうダメかも、、という危機があって乗り越えてきたので、又そうなんだろうな、
というあまり重大性を感じなくおちついた対応している自分がいた。

ま、今はとにかく夜中だし、朝になって考えようと、思った。
だが、夫がたまたまトイレに起きたのでその事だけは伝えておいた。

朝になり、まずは施設に電話を入れ状況を聞いた。介護担当者は、下血の量が多いのと嘔吐もあったのだという。
原因については検査をしてみないとわからないが、年のことを考えるとリスクが大きいので家族の意向に任せますとの事。

とりあえず私は今沖縄本島にいるので夫の兄弟を行かせますと言って、弟に電話を入れ様子を見に行ってくれるように伝えた。
それから、すぐにチケットの手配をしてその日のうちに地元に帰った。

そのうちだんだんと血圧も下がっていき、医者からは時間の問題だと言われた。
もう90も過ぎているし、認知もかなり進んでいるので施設で様子を見ることにして、島外の兄弟たちに連絡をして最後の別れを見届ける事にした。

そして2日午後1時に召されていった。
私の12年間の介護生活が終わった。
施設の社長は私が介護するに当たって最初に色々と助言をしてくれた、とても信頼できる方だった。彼女が私を見るなり一緒に泣いてくれた。
「お疲れ様」という言葉をかけてくれた。

それだけで救われた。もう何も他に言葉はいらない。