翌日は、早めにホテルを出て、九段下へ向かった。その日は武道館で大学の卒業式があったらしくて、新しいスーツを着ていた、若い男性と袴姿の女性、そして、ご両親の方々が、武道館ヘと足を運んでいた。大学生の男の子とお母さん。ちょっと、うらやましく思えました。まずは、昭和館ヘ行ったら、時間が早かったので、しょうけい館の場所を聞いたら、よくわからないらしくて、「靖国神社の中にある、資料館じゃない?」と言われたので、「あれは遊就館です。」と言ったら、すぐに、近くの交番で聞くように言われて、交番に行ったら、古い地図しかなくて、銀行の後ろと言われたけど、リニューアルして引っ越したことを伝えたら、若い警察官の方が、「住所がわかれば、教えてほしい。」と言われたので、スマホを見せたら、きちんと説明してくれたので、ちょっと、確かめるために行ったら、まだ、早かったので、会場が何階なのかを確かめて、再び、昭和館ヘ。昭和の時代の生活をわかりやすく、展示されていた。ここには、若い人たちが多くて、修学旅行で来ていた感じの女子高生たちが、防空壕体験とかしていた。防空壕は音がうるさくて、揺れもひどくて怖かった。こんな経験はしたくない。それ以上に怖かったのは、しょうけい館だった。私が子供の頃、お祭りの露店が並ぶ場所のはずれに、戦争で腕や脚を無くした人が座っていた。たまに、祖母に話をしたら、「お金がほしいんでしょ。国からお金をもらっているはずなのに〜」と言ったけど、それだけなのかな?と、ずっーと、思っていた。この戦争による手や脚を失った戦傷病者史料館で、いろんな史料や展示を見ることでわかったことが多かった。こんな大変なことにならないように、平和な時代を続けるようにと願っていたのではないかと思った。嵐が出演していた映画「黄色い涙」にも、その戦傷病者のシーンがあって、びっくりした。気づく人もいないかもしれないけど、昭和と言う時代を象徴しているようにも思える。平成生まれが多くなってきた、今こそ、みんなが知るべきことだと思った。若い男性はもちろん、女性も子供たちも、戦争によって命を落としている。学校では教えてくれない。話をしてくれる人も少ない。もっともっと、このような資料館に行ってほしいと思った。もう一つ、気になった話。横浜の山下公園の埠頭にある、氷川丸。ただの豪華客船だと思って、見学したことはなかった。今回、この氷川丸が戦争中に病院船として活躍していた。治療と手術のために使われていた。手や脚を切断する時は、みんなで押さえてしたとか。どうしても、他の病院に移動させなくてはいけない時は、救急車みたいに輸送船としても活躍していたと知って、びっくりしました。一度は氷川丸の見学もしないといけませんね。また、いろんなことを知ることができて、よかったと思いました。