桐生市市民文化会館シルクホールには行ったことはないけど、90年代に、THE ALFEEのコンサートで群馬県民会館(現ベイシア文化ホール)に行ったことはある。なぜに、ここへ行ったのか、はっきりとは覚えていないけど、このコンサートチケットの予約をする前にだったかな?テレビの山田かまちさんのドキュメントみたいな番組を観て、どうしても、この人が気になった。今では有名な群馬出身の3Bと言われる、BUCK-TICK・BOOWY(2つ目のOに/を書く)・back number。その中のBOOWYの氷室京介さんと小・中と同級生で、バンドもやっていたらしいと言う、山田かまちさんが気になってしまって、前橋市に行く前に、高崎市にある山田かまち美術館に行こうと考えた。友だちもOKしたので、行くことにした。と言うのも、新幹線は高崎駅には停まるけど、前橋には停まらないこともあったから、ちょうどいいと思った。もし、この人が生きていたら、すごいギターリストか素晴らしい芸術家になっていたと思う。小学校低学年で、リアルな動物の絵を描いて、「1日が24時間じゃたりないよ。」とか「生きることを生きろ。」など、大人でも気づかない言葉を残していた。これは亡くなられたあとでわかったこともあったらしいけど、ここへ行ってみたかった。行く時はタクシーで行って、帰りはバスで駅に戻った。ここに来る何日か前に、なぜか、この美術館で坂崎さんと出会う夢を見て、まさかだよね~なんて思って、美術館を見学していた。あるコーナーに行った時に、観葉植物が置いてあり、なんとなく見てみると、「坂崎幸之助寄贈」と書いた、小さな名札が見えてびっくり!きっと、これに会うための夢だったのかな?と思った。ここでは、山田かまちさんの絵や言葉に衝撃を受けた。まだ、17才で亡くなられてしまった。暑い夏の日に、まだ、各部屋が冷暖房完備だったり、貸しスタジオも少ない時代に、近所迷惑にならないように窓を閉め切って、上半身裸でエレキギターを弾いていた。プロじゃないから、アンプとか器材そのものにも、問題があったのかわからないが、感電して亡くなられた。その後、ベッドの下から、お母様が見つけた絵や詩を展示してあった。かわいい顔をした少年。もし、生きていたら、高見沢さんにも負けない、ギターリストになっていたかも知れない。その感動を胸にしたまま、前橋に行ったら、時間的に危なくなって、タクシーで会場に行き、帰りのことも考えて、タクシーの運転手さんにコンサート終了後、来てもらった記憶がある。携帯もない時代によく来てもらえたと思った。この山田かまち美術館のことは忘れない。行ってよかったと思う。ちなみに、このコンサートのチケットが届く前に、夢の中で、2・9・4・5と数字が現れて、まさかと思ったけど、席は1階28列4番と5番だった。正夢が続いた、妙なコンサートになったと思った。