宮崎勤の肉声をところどころに入れて、警察関係及びマスコミ関係の人たちは、俳優や女優を使ったり声を替えたりして、ドラマとドキュメンタリーの融合みたいな感じだった。当時、知らなかったこともわかるような気がした。金子ノブアキさんや秋元才加さんの熱演もあって、ひきこまれてしまった。宮崎勤が意外と恵まれた家庭に育ったことは知らなかった。曾祖父が村会議員で祖父が町会議員で、父親が自治会役員。父親は新聞社と印刷会社を経営していて、忙しかったらしい。先天的に手のひらを人に見せることができない障害もあった。父親は医者の「手術しても治るかどうかわからない。」の言葉を聞いて、手術を受けさせないままだったとか。それも恨みに思っていたらしい。この父親を見ていると、時代の関係もあるけど、男尊女卑の考え方で奥さんをバカにしているような気がした。常に、自分がいちばんで自分がいるから家族がいる。そんな感じがした。たぶん、自分の家族よりも自分または自分の会社さえ、うまくやっていけたらいい。すべて、その調子だったような気もする。宮崎勤自身は障害はあっても成績は優秀だったが、手のことを気にしすぎて2時間もかかるような高校に通ったりしたが、付属高から大学に行くことはできなくて、短大の映像学科を卒業している。普通なら、恋のチャンスもあったはずなのに、そんなこともなくて、欲望だけがうずまいていたのだろうか?だからと言って、幼女を誘拐して殺人してもいいはずがない。絶対に許されないことだ。何が原因かはわからないままだけど、父親の考え方や生き方にも、原因はあったようなら気もする。両親が忙しくて家族でご飯を食べることはなくて、父親と母親が交代して食べていたとか。そして、祖父になついていたことも関係しているかも知れない。つくづく、両親と子供の関係がその後の子供の成長にも関係していくような気がした。私もおばあちゃんっ子だったので、今でも、母親に寄り添えない、何かを感じることがある。忙しいからとか仕事が大切だからと言って、子供に寄り添わないでいると、子供の心を理解できないままになってしまうと思う。ふと、この父親が、もう少し、子供に対して向き合っていれば、違った人生だったような気がした。

この事件の被害者の子供たちが生きていたら、今頃はかわいい子供を連れて散歩やお出かけしていたのかと思うと、この子供たちの輝くはずであった未来を奪った、宮崎勤は許せない。ただただ、そう思うばかりだ。

20数年前かな?たまたま、埼玉県の飯能市を電車で通った時、ふと、こんなところで、子供たちが殺されて捨てられていたと思うと、怒りがこみあげてきたことがあった。本当に許せない事件だと思う。