昨晩のバスタイム中、たまたま後藤騎手が自殺に至る背景や彼の人柄をまとめた動画を見ていて、どちらかと言えば僕も馬鹿正直なところがあって、例えルールとして定められていたとしても馬鹿をしたり、周りを気にしてやり過ぎてしまうところがあると思う。
後藤騎手のファンサービスも、もちろん好感が持てることだけど、時間ギリギリまでサインに応じていっぱいいっぱいになってしまうのは他の騎手のファンからすれば少し浮いて見える。本性がそういうサービス精神に溢れた方だから、好感度を上げるために取り繕っている感は全くしないし、それより本業の騎手として少しでも勝ち鞍を、と意識を本職に持っていくべきなのに、やはり後藤騎手の意識の中にはファンの期待に応えないといけない、ファンを喜ばせたいという思いが他の騎手よりも異常なほどに強いのだろう。
あまりにも真心がこもっていて、「絶対にこうでないといけない」という万が一非常事態に陥っても自分の信念を変えられなかったのかもしれない。「騎手として復活できないなら死んだほうがマシ。俺が怪我から復活できなかったら二度とファンを喜ばせることができなくなる」もしそんな考えに偏りすぎて発作的に自死する気持ちは、わからなくもない。
それに、落馬して怪我をしたのは後藤騎手だけではなく、落馬によって脚を骨折し、その場で予後不良という安楽死を余儀なくされた馬のことを思うと、これもまた荷が重い。
落馬をしても直ぐに立ち上がる馬は見たことはあったが、怪我から復帰し、再び別の騎手の斜行により落馬してしまった馬は倒れてから脚を折り曲げた状態で、まるで脚から下が底無し沼にはまっているみたいにもがいているようだった。
たった一頭の馬の最期を目にしただけで、感情を抑えきれないのだから、どのみち僕は騎手の素質はないと思える。農業高校時代の鶏の解剖にしても、さっきまで生きていた鶏が、教師の手によって屠殺される光景を直面して、命と、またその命から頂けるありがたみを当時の僕は上手に受け止めることができなかった。
普段から鶏の胸肉を買って食べている身分なので、当然のことながら店頭に並べるまでの過程に沢山の方々が関与している。最早慣れたことだろうが、最初に屠殺される。生きた鶏が店頭に並んでいて、それを客にすべて任せるわけにはいかない。原始時代ならよくある光景かもしれないが。
これは見なければ良かったことかもしれないが、無知を知ることは知となる。今朝はLINEのニュースで、テラスハウスという疑似恋愛をしている生活風景を視聴者に見せるテレビ番組に出ていた女子プロレスラーが自殺したというニュースを知った。洗濯について彼女が相手に激怒していたらしい。もともとヒール役の彼女なので、女子プロレスラーとしての彼女を知らない人が見ると、思わずツイッターなんかでぼやきたくなる気持ちもわかる。しかし、彼女を自殺に追い込むほどの誹謗中傷が事実あったそうなので、僕もネットとの付き合い方を見直したり発信するならせめて一呼吸置いて言葉を選ぶ必要がある。
日本に比べて韓国ではこのようなネット上での誹謗中傷が絶えず、同じように追い込まれてしまった俳優や歌手をよく聞く。
以前に、四国で副住職の傍ら、音楽活動もされている方がこんなことをラジオ番組で言っていた。
生老病死
この4つを避けて通ることはできないが、これからの社会はこれに“ネット”が関わってくるのではないかと危惧していた。ネットによってコミニュケーションを図れたり、様々な情報を知ることができるが、中には間違った使い方、というよりも、その名の通りネッワークという架空の世界のように思えて現実社会と繋がっているから、車ではないが、使い方を誤れば凶器にもなる。冗談で投稿しただけなのに刑事事件になることもあれば、今回のように誹謗中傷という悪意も殺意もない各々の意見をネット上に並べることで、それを受け取った人によってはこのようなこともある。
若い学生の間ではスマートフォンを持っていないから仲間外れされたり、いざLINEで繋がったと思えばそこでまた仲間外れという虐めが起こる。それならまだ一日中スマホで一人黙々とゲームをしていたほうが健全だと思う。
僕の親父はテレビゲームに異議を唱えていた。熱中するあまり勉強が疎かになるからだろう。「ゲームソフトを買ってやるのはいいが、友だちのゲームソフトと交換してやりなさい」と言われたこともある。
今となれば、その言葉の意味が理解できる。ゲームをクリアしたから新しいゲームを買うのではなく、友だちが持っていて、その友だちが持っていないゲームを交換することで新しいゲームを買うこともなくなるし、その間には関係が生じる。何も信頼関係のない人に大事なゲームを貸したくはないだろう。その為には信頼してもらうような付き合いをしなくてはならない。
家にお邪魔させてもらうことも友だちだから許されることだろう。
人が何を思うのかは自由だけれど、発言するならもう少し言葉を選んだほうがいい。
楽しく生きていくイメージを膨らませて暮らそうよ
