身もふたもない話 | Prologue End

Prologue End

過去はいつか消えますか?
僕は強くなれますか?


今日(正確には昨日)17:30頃渋谷~神泉間で人身事故があって、
18:30頃に運転再開の予定っていうニュースを聞いてさ。
大胆なことするなって思った。

その時間ってちょうど混みはじめる時間でさ、
まして渋谷から世田谷に向かう線路でっせ。
その時の乗客の皆さんは運転再開までどうしたんかね。

最近ミステリー小説とか推理小説をよく読むせいか
死ぬってどういう感覚なんだろうと思うのです。
何が辛くて、悲しくて、苦しくて、生きることが嫌になるんだろうなって。
すぐ身近にいたから、なおさら。

子どもの頃はうちも考えたことあったよ。
結局出来なかったけど。
ほんとにその頃は未だに人生で一番しんどかった。
何が辛くて、悲しくて、苦しくいのかもわかんなくなっちゃうんだよね。
全部がその対象なの。
笑ってる人を見れば、憎らしく思ってしまうし。
幸せそうな人を見れば、妬ましく思ってしまうし。

昨日都会の真ん中で人身事故を起こした人は
最後に何を思って空に還ったんだろう。
何に涙して大地に還ったんだろう。

それをずーっと仕事中から考えててさ。
でもそれに対してまったく悲しみの感情が出てこないの。
むしろ飛び散った肉片をかき集めるのに1時間くらいで出来ちゃうんだとか考えて。
都会に報復でもしたかったのかね。

逆にさ、顔も声も姿も知らない誰かに涙できる人は
どれだけ周りの人間を大切にしてるんだろって思うよね。
自分の両手におさまるだけの人を大切に思えればそれでハッピーじゃないかと思うわけですよ。

よく音楽でもなんでも、明日を生きたくても生きられない人がいるのに
自殺をするなんて失礼にもほどがあるとかいうじゃない。
それってどん底を味わったことない人なのかなと思ってしまう。
明日を生きられずに命を燃やす人は苦しいと思うし、
泣きながら生にすがるシーンが頭にぱっと浮かぶけど。
自ら命を断つ人だって苦しくてそうするじゃん。
笑えない明日にどれだけの価値があるんだろう?

分かってるんだ、ほんとは。
誰かが、例えば偽善でも、それを言わなきゃいけないことは。

うちが言いたいのは、ですよ。
世界の裏側で紛争が起きたり、孤児が餓死してしまったり。
そういうことにいちいち悲しむくらいなら
もっと身近な人たちを大切にしなさいよってことです。
自分の世界には表も裏もないでしょーが。
自分が家族、友人、恋人、仲間、そういう人たちの不幸を悲しむように
世界の裏側にはそれなりの悲しみがある。
悲しんでくれる人がいる。
それが正しいことかは分からないけど、
毎日笑っていられる日常なら、悲しみの意味すら知らないまま生きてく。
それほど悲しいことはないんじゃないかな。

感情が豊かな人をそれなりに波を乗り越えてきたんだろうなって思うから。
素直に喜べる、悲しめる、楽しめる、涙する。
それが幸福なことだって知ってるんだよ、きっとね。

自分には自分の悲しみがある。
それでいいじゃんか。
そういうのって比べるもんでもないし。
ただ、苦しんだ分だけ人間的に深くなるとは思うけど。


ねます。