今、「ソース」という本を読んでいます。マイク・マクマナス著です。自己啓発本の中では、ベストセラーとなっているものです。

この本でも「ワクワク」が基本となっています。この点は、バシャールと同じです。

この本の中で、人生の目的は人により「Do」と「have」と「be」があると言っています。「~したい」「~が欲しい」「~でありたい」と・・・

この中で、最も本質的なものが「be」であり「~でありたい」という事だと言っています。(私には、そう読めました)

私の趣味の一つにゴルフがあります。それですので、「ゴルフがしたい」「新しいクラブが欲しい」という欲求はあります。そこを満たしたとしても「上手いゴルファーでありたい」という望みは保証されるわけではありません。

たとえ「ゴルフが出来」「良いクラブもって」いたとしても、「スイングが悪いゴルファーであったなら、意味はない」と思っています。逆に言えば「スイングが良ければ、他はどうでもいい」が私のゴルフにおける願望です。

良いスイングを身につけるために、色々なゴルフ理論を勉強したり、練習場に行ったりしています。それは紛れもなく私の「ワクワク」です。

ただ、「ワクワク」を感じないのに「勉強したり」「練習したり」する人がいます。ゴルフでは少ないでしょうか、「資格の取得」を目標にしている人にありがちなのが、「ワクワクしないのに、資格のために勉強する・○○作成の練習をする」ということだと思います。

資格を取得することにより、「ワクワクする」ことを「仕事」に出来るのであれば良いのですが、「昇進のために」とか「人から認められたいから」とかを動機に「資格取得」を目指す方も少なからずいると思います。

それらの動機は、結局は「自己顕示欲」に過ぎないと思います。自己顕示欲とは「他者が自分を認めてくれることにより自己の欲求を満足させる」ということであり、「他者の『あなたを認める』という判断」がない限り、「満足することはない」のです。

そのようなものを自分の「目標」とか「動機」にすべきではないと思います。

人の価値判断から自由になったところで、「自己満足する」ことを「ワクワクの根本」に置くべきだと思います。

私がクラッシック音楽が好きです。以前はデスメタルとかも聴いていましたが、今は聴いていません。最近好きになったのは、モーツァルトとブルックナーです。モーツァルトは「聴くと頭が良くなるから」といって、子どもに聴かせる人がいますが、「えっ、それってへんじゃない!?」と思います。

音楽は、「気持ちよくなる」から聴くのであり、「頭が良くなるため」に聴くものではないはずです。例えば、「モーツァルトが嫌い」な子どもに「頭が良くなるから」といって「モーツァルトを聴かせる」ことは、その子の「幸せ」を度外視してまで、「高学歴を目指す」ことと同様です。

人生においても同様な事が言えると思います。「社長になるため」「高収入を得るため」「○○士になるため」に私たちは生きているのではないはずです。それらを条件として「どうあるか」を問うのが「人生」だと思います。

今回の震災や原発事故の真相は分かりません。どの情報が本当だとしても「不安を煽る」ものが多いような気がします。しかし、「不安になる」のは「be」の部分であり、自分で決められるところです。

真相を知ろうという態度は必要かも知れませんが、それにより「怒り」や「怖れ」を「be」として体験するのは、適切ではないと思います。2012年にアセンションがあるかどうかについても同様なことが言えると思います。

アセンションがあるのか・どのような変化するのか、についてあまり気を使う必要はないと思います。ただ、自分が「どうあるか」ということのみを気にすべきだと思います。