タイトルの言葉は、テレビで、慶応大卒の焼き鳥屋さんが言っていた言葉です。

『料理をうまい・まずいだけで語るのは、ゲスの考え方だ』

これは、音楽についても言えることだと思います。

本日、娘のピアノの発表会がありました。娘は軽い障害を持っているために、リハビリの意味を込め、ピアノを習っています。師事している先生は、同様な門下生を数多く教えています。

その先生は、「音をつむぐ会」という題で、本発表会を企画しています。

その中で、『献演』がなされました。初めて聞いた言葉でした。献演とは、献花と同じ意味で、死者に捧げる演奏ということです。今回の東北関東大震災で亡くなられた方達に捧げるために行われました。

演奏者は素人であり、決して優れた演奏とは言えませんでした。しかし、彼が先生と一緒に奏でたカッチーニのアベ・マリアはとても感動的でした。

そして、今回の発表会のどの子どもの演奏も素晴らしいものでした。

わたしは、彼らの演奏を聴く中で「神の心」に触れることができたような気がしました。それは、「つたない演奏」でも「包み込むような気持ち」で聴くことができたからです。きっと神も「人類のつたない生き方を、包み込むような気持ちでご覧になっているのではないか・・・」と感じました。

毎日流されるACのコマーシャルを「偽善だ・不愉快だ」という人もいます。しかし、「善意」を感じることもできると思います。それは、受け手の心持ちによって変わるものだと思います。

娘の作ってくれる料理は、決して『旨く』はないですが、とっても『おいしい』のです。「料理」でも「音楽」でも、例え「間違った気遣い」でも、気持ちがこもっていたら「うれしい」のだと思います。

被災者を元気づけるために、町の中学生が吹奏楽のプレゼントをしたとニュースで報じられていました。上手い演奏にこだわっていた自分は、「迷惑では?」とも思ってしまいましたが、被災者は「涙を浮かべて」喜んでいました。演奏者の気持ちが被災者に届いたのだと思いました。

贈る気持ちと受け取る気持ちがあれば、悲惨な状況においても、喜びを感じることができるのだと思います。

神に反逆した最初の子どもは「ルシファー」なのかも知れません。そして、ルシファーを「神」と崇める人達が、世界を牛耳る人達なのかも知れません。彼らが私たちを「ゴイム」といって支配しようとしても、私たちには「真の神」がついているのだと思います。

私たちが、彼らの陰謀に対して「愛のみで対抗」するなら、彼らは力を発揮することはできないのだと思います。陰謀は、「怒り」と「恐怖」によってのみ、力を得ることができると考えるからです。陰謀に力を与えなければ、失敗に終わるでしょう、ガンジーの非暴力運動のように。

陰謀に対する防御は、知識を付け、「蛇のように賢く(聖書)」彼らの陰謀を知り、かつ、「愛みので対抗」する事だと思います。