この本は、ノーベル物理学者「パウリ」と無意識の大家「ユング」の共同研究に関するものである。

共同研究といっても、実際に二人が実験などをしたわけではなく「書簡」という形で、両者が各々の立場から「真理」を探求していくというものである。

その二人が行き着いた先が、ユングのいう「物理学と無意識の心理学の間にある無人地帯」なのだという。

パウリはあのアインシュタインが「自らの後継者」といっていた天才である。彼は真理を探究するあまり、科学者として近づいてはならないとされていた「錬金術」や「カバラ」などに足を踏み入れることとなる。

ユングも中国の「易」の考えなどを取り入れるようになる。(まあ、易についてはボーアも傾倒していたが・・・)

この本では、「相補性」や「共時性」といった「ノーマル」な物理学からは敬遠される内容について、二人が探求していった「経過」が詳しく述べられている。

とても興味深く読めた一冊だった。

しかし、「真理の探究書」としては、物足りないものであった。実際「137」の本当の意味はなんなのか!?については明快な答えは得られない。

もしそれが明らかにできるのであれば、「物理学と無意識の心理学の間にある無人地帯」の中にある理論を解明することになるのだろうから。

一例を述べる。

フィボナッチ数列(Fn+1=Fn+Fn-1)から皆さんご存じの「黄金比」が現れる。黄金比とは「1:1.618」のことである。今のテレビの形である。

この黄金比は、数学的に求められるだけでなく、自然界に「容易に」発見できる比なのである。

例えば、オーム貝の「巻き」である。オーム貝の巻きは、究極的に美しいとされている。そう思えない人もいるであろうが、「美しい巻き」を追求していくとあの形になると思う。あの形は、黄金比の「長方形」を「無限」に繰り返して得られるものである。

自然界に「偶然」存在しているように見えるものが、黄金比からできているだけでも驚きであるが、黄金比から「137」も得られるのである。

例えば、円を黄金比で分割すると、「222.5 : 137.5」となる。(0.5違うという人もいるかもしれないが・・・)

「137」は黄金比以外の数からも導かれる。(詳細は本書で。色々なパターンがあって説明しきれません。)

『微細構造定数はなぜ1/137なのか?』がパウリがもし主に一つだけ質問できたとしたら、したい内容であると書いてあった。それほど、「137」という数字は奥が深い。

人間が「どこから来て・どこへ行くのか」は諸説ある。明日以降のブログでその辺のことも書いていきたいが、諸説あるとしても、この次元で成り立つ物理法則はただ一つである。

数学的真理は、次元を超えて存在するだろう。その数学的に真理に根差したオーム貝の巻きが美しくもあり、合理的であることが、「神秘」である。

美しいと感じる「観測者」がいない時に、オーム貝の美しさを形作る黄金比は誰が美しいと言うのだろう。まあ、いなくてもいいが、「黄金比を美しいと感じる」のが先か、それとも「黄金比ができた」のが先かの議論は残るだろう。