天理市大和天神山古墳。
全長103m、後円部径56mの前方後円墳と推定されますが、国道169号線の建設に伴って東縦半分が破壊されています。また、西半分は第2次大戦中に海軍によって大きく削平され、原形を保っている部分は殆どありません。1960年、国道工事に先立って石室の調査が行われ、全長6.1mの合掌式の竪穴式石室で、割竹形木棺が安置されており、銅鏡23面と41kgもの水銀朱、鉄製品が出土しています。人体が埋葬された形跡がないことから、すぐ西側に位置する全長240mを超える大型前方後円墳、行燈山古墳の副葬遺物埋葬専用の陪塚として捉え、大和天神山古墳の築造年代も行燈山古墳と同時期の古墳時代前期後半、4世紀の後半と考えられています。しかし、前期後半とするなら、合掌式の古式の構造には疑問が残りますし、もう一つ重要なのが銅鏡23面の内訳で、その内訳は「方格規矩鏡」6面、「内行花文鏡」4面、「画文帯神獣鏡」4面、「画像鏡」2面、「獣帯鏡」1面、「獣形鏡」3面、「斜縁変形神獣鏡」2面、「人物鳥獣文鏡」1面で、この時期に最も流通していたはずの「三角縁神獣鏡」が1面も含まれていません。「方格規矩鏡」、「内行花文鏡」、「画文帯神獣鏡」、「画像鏡」、「獣帯鏡」の5種17面が後漢鏡で、「獣形鏡」、「斜縁変形神獣鏡」、「人物鳥獣文鏡」の3種6面がいわゆる仿製鏡とされています。これほど多種多数の舶載鏡が副葬されているにもかかわらず「三角縁神獣鏡」が全く含まれていないというのは非常に特殊な組み合わせと言えます。仿製鏡の存在がなければ「三角縁神獣鏡」が流通する以前の時代まで築造年代を遡らせることも可能だったのですが、仿製鏡の製造年代がはっきりしないので、これらの鏡群について研究されている論文を探していると、一部の研究者さんがやはり、大和天神山古墳の築造年代を前倒しする説を書かれていたので少し見てみたいと思います。
まず、問題の仿製鏡のうち「獣形鏡」は古式の原鏡を手元に置いて忠実に模倣したもので、「獣形鏡」としては最も古い部類に属すとし、「人物鳥獣文鏡」はその珍奇な図像から銅鐸の絵図と共通していることを見出し、古墳時代初期の製作工人のうちに銅鐸製作に関わり、銅鐸絵画に類似する画材を持っていたものがいたのではないかと推測しています。さらにこの説に補強する形で「斜縁変形神獣鏡」2面のうち1面に型崩れをおこしたような文様の乱れなど各所にあることがわかり、この1面はもう1面の試作品であり、のちに製作される同型鏡や類似鏡に発展したと考えています。これらのことから大和天神山古墳の仿製鏡は古墳時代前期前半の製作として結論付けています。
次に石室について見てみます。石室内には残存長2.6m、幅0.76mの木棺が納められていて、その両端部から60cmのところに仕切り板のようなものが設けられており、3つに分けられているような形になっていたそうです。その中央部は140cmになり、その周囲を取り囲むように20面の銅鏡が配置され、その鏡群の下に剣が置かれていました。その内側に長さ1m、幅50cmの範囲に41kgの水銀朱が納められています。仕切り板の北の外側には銅鏡2面と農耕具類、南の外側には銅鏡1面と鉄刀3本が納められていました。この石室内の状況から埋納の主体は水銀朱ではなく、銅鏡であるとして、「三角縁神獣鏡」が欠落し、仿製鏡が配置されていたのは、これらの鏡群は何らかの目的で一括セットで伝来したもので、「三角縁神獣鏡」の製作工房とは別の工房で製作されたもので、それぞれの製作目的が違う並立した別組織があったものと推測しています。そして、出土した舶載鏡式は17種もあることは、今後仿製鏡を製作するにあたって「三角縁神獣鏡」を除いては十分に手本になるものであることから、こういった貴重な鏡群を丁重に埋納していたのではないかと結んでいます。銅鏡専用の古墳といったところでしょうか、人体の埋葬はあったと仮説をたてる研究者もいます。被葬者は銅鏡で囲まれた長さ140cmの水銀朱が塗られているところに入ることになるので、140cmでは少し小さいですね。とすると必然的に子供の被葬者になります。だれの子かと考えると真っ先に浮かんでくるのは行燈山古墳の被葬者です。この大王クラスの被葬者の子と推測すれば、築造年代も問題なく古墳時代前期前半まで遡ります。そして、「三角縁神獣鏡」がまだ伝来していないということは、同形式の石室をもつ黒塚古墳より古くなるということになり、240~250年代まで遡れることも可能です…というのは少し飛躍しすぎていますが、しかし黒塚古墳とほぼ同年代の築造は十分考えられます。もし大和天神山古墳が行燈山古墳の陪塚とするなら行燈山古墳の築造年代も遡らせないといけないことになりますね。
↑大和天神山古墳出土の銅鏡が詳細に見れます。「人物鳥獣文鏡」が面白いので見てみてください。
墳丘内は伊射奈岐神社の境内になっていてお参りもできます。イザナキ命は葬られていません。
宮内庁の縄張り、行燈山古墳は崇神天皇陵として比定されているので、陪塚とされるアンド山、南アンド山古墳とともに発掘調査は行われていません。これらの古墳の調査が行われると大和天神山古墳の位置付けもはっきりしてきますね。
<大和天神山古墳アクセス>
車:西名阪道天理ICより南へ10分程度。
駐車場はありませんので行燈山古墳の駐車場を利用するといいと思います。
電車:JR桜井線柳本駅から徒歩10分程度。





