お昼の支度をしていたとき。


どうせ食べるのならお天気も良いし
外でピクニックでもどう?
と、母を誘い簡単ピクニックへ。


お腹いっぱいになり、お料理上手な母にも
喜んで貰えたので良かった良かった


そう思いながら帰宅しyoutubeで
何か音楽でも!そう思ってつけてみると
拉致被害者家族横田家の会見が残されていた。


先週、滋さんの訃報を知ったときには
心から無念でならなく
ご本人またご家族へ思いを馳せました。


当時、解放・再会の報道は
母、おば、姉と観ていた記憶がある。


それから報道を拝見する度に
当時12歳だったわたしは


今の自分と同じ位だったんだ…
本人も、家族も、どんなに苦しいんだろう…


そうも思ったし、特に滋さんの
優しい笑顔がとてもとても印象的でした。


どれ程の苦しみがあったか


それでもあの優しく朗らかな笑顔、、、


私の話になってしまいますが、
今回のこのコロナ蔓延を機に


96歳の愛する祖母が入居する施設は
突然面会謝絶になりました。


それまで毎週必ず1、2回は会っていたが
突然会えなくなりとてもとても心が苦しく、
辛く、心配で心配でなりませんでした。


何をしていても、
大丈夫かな?おばあちゃん
理解できてるかな?おばあちゃん
ご飯食べれたかな?おばあちゃん
寂しいよね、おばあちゃん…


等々挙げたらきりがないほど
ただただ無事を願い過ごした3ヶ月でした。


たったの3ヶ月でさえもこうです。


それが、、、
40数年以上もずっとずっと、、


待って、待って、待って待って待って…
ずっと待ち続け今も解決されていない…


祖母に重ねてそのことを想像すると、
私の心はとても苦しいです。


上記の『おばあちゃん』の部分はきっと…


大丈夫かな?めぐみちゃん
理解できてるかな?めぐみちゃん
ご飯食べれたかな?めぐみちゃん
寂しいよね、めぐみちゃん…


こう置き換えられると思います…
ご自分の家族にかえてみてください。

 
こんなものじゃ到底収まらないほど
何をしているときでもめぐみさんのことを
想い無事を願ってきたと思います。


どこに行ってしまったのだろう…から始まり
あの国の何処かに…へと変わり、
解放・帰国が叶った方々に姿を重ね


いつか、必ず、
そう思い続けていたと思います。


曽我さんのコメントに
帰国した際「おかえりなさい」と、
滋さんが声をかけてくれたとありました。


どんなにその言葉をご自分の娘さんにも
かけてあげたかったか…


関連動画を拝見していくと
帰国が叶った方々の再会のシーンで


滋さんが涙ながらにインスタントカメラを
しっかり構え写真に収めている姿がありました。


これは決して他人事ではなく自分事です。


私達に何が出来るだろうか


動画を観ながら母と話をしました。
まず、知っていくこと それが今一番
出来ることなのかなと思いました。



拓也さん、哲也さんの力強い言葉が
とても印象的でした。


理不尽にも連れ去られた人の親であれば
誰だって同じことをしていたはずだし
これは横田家の問題ではなく日本の家族の
誰しもがこうなった可能性があることで、
誰にも同じようなリスクがあった
自分事にして考えてください


国会においては与党野党壁なく
この問題解決の為にもっと時間を裂いて
具体的且つ迅速に解決の為に行動してほしい


メディアの方々にもイデオロギーに
関係なくこの問題を我が事のように
もっと報道してほしい
自分の子供ならどうしなきゃいけないかと
いうことを問い続けてほしい


安倍総理・安倍政権は動いて
やってくださっています
なので、何もやってない方が政権批判を
するのは卑怯だと思います
拉致問題に協力して、様々な角度で協力して
動いてきた方がおっしゃるならまだ
分かりますが、ちょっと的を射ていない
発言をするのはこれからやめてほしいと
思っております


今こそ愛と思いやりを持って
何事も自分事に考え、想像し
一つになっていかなければいけないとき


そう思います。


心からお悔やみ申し上げます。


そして、早紀江さんのご健康を
心よりお祈り申し上げます。