認知症だったひいおばあちゃんの記憶。 | 介護のコンプライアンスに強い経営コンサルの独り言

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こんばんは、
まなぶっちです。


週末、実家に帰ったついで、
おいしいと評判のラーメン屋によりました。


最近できたお店なんですが、
実家の母の話では、
いつも外に列ができているとのことなので
ちょっと遠回りして寄ってみたのですが、
お店があったのが、子供の頃住んでいた
家の近くでした。


周りの様子はすっかり変わっていましたが
何となく、昔の雰囲気は残っていて
ラーメンの味より懐かしさが印象に残った1日でした。


人間不思議なもので、
ここ何10年も思いだしたことのなかった
父親の祖母、私のひいおばあちゃんの事を思い出しました。


今はなくなってしまいましたが、
父親の生家が近くにあり、
ひいおばあちゃんは
父の両親(私の祖父母)と兄弟(伯父、叔母)と一緒に
住んでいたので、よく父親につれて行かれた場所です。


小学校に上がる前の事なので
それほど覚えていないのですが、
今考えると一つ強烈に覚えているのは
かなり重度の認知症だったということです。


当然、子供だった当時の私は
認知症などと言う病気(当時は痴呆と呼んでいたと思います)
など、分かっていませんでした。


何せ父に連れられて、ひいおばあちゃんに会うと
開口一番、私の事を父の名で呼び、
「まだ蟻んこが怖くて泣いているのか、まったく」と
お決まりのセリフを言われます。


父親は幼いころ、小さな蟻をみても
大泣きしていたようなのですが、
私を父と思いこみ、
昔の話をいろいろと話してくれました。

ただ、それが何回も同じ話の堂々巡り。


子供心に、とても疲れてしまったように
記憶しています。


徘徊も頻繁にあり、
よく「ばあちゃんが、またいなくなった」と
みんな総出で近所を探しまわることも多く、
そのうち、住所と名前、電話番号が書かれた布を
背中に縫いつけてある着物をことになったのですが、


当の本人は、それをえらく自慢していて
「わしの名前知ってるかや、ほれ」と
私に良く見せてくれたのを覚えています。


いま思うと、介護は家で行っていたのですが、
みんなひいおばあちゃんの話を笑いながら聞いたりして
なんとも愛情のある接し方をしていたんだなと思います。


その当時は、家族も多く、
現在のように高齢者がそんなに多くなかった頃の
話ではありますが、
介護の理想の姿があったのかも知れません。


ちょっとノスタルジーな気分になった
ある日の出来事でした。



今回も最後までお読み頂き、有難うございます。


本日はこれにて。





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