「われわれの世紀の物理学および物理学者に与えたボーアの影響は他の誰よりも、アインシュタインのそれよりも、大きなものであった」(ハイゼンベルク)
のニールス・ボーアですが、エピソードもあまりに面白かったので、今日はその紹介


◆ボーアは講演が「素晴らしく下手」だったようです。

「話し下手の主な原因は、彼が話ながら深く考え込むことにあった。
『そして・・・そして・・・』
それからほぼ1秒ぐらい沈黙があって
『しかし・・・』
と続けたのである

『そして』と『しかし』のつなぐ間の話は彼の心の中で進められた。
しかし、彼はそれを声に出して言うのを忘れいただけで、自分の話の筋道はずっと先まで進んでしまっていたのであった。」
(アブラハム・パイス『ニールス・ボーアの時代』より)

ボーアの自覚は「驚いたね、彼は私の講演が下手だと思っているようだ」




◆ボーア兄弟は、サッカーでも素晴らしい選手でした。
ボーアの弟は、デンマーク代表で出場経験があるほど(凄い!)。

ボーアの弟と電車で別れたお母様は、車掌さんにこう言われました。
「奥様はご存知なかったようですが、貴女のお隣に座っていた方はサッカーの花形選手だったのですよ」

ニールス・ボーア自身はゴールキーパーでした。
特に印象的なのはドイツのクラブとの対戦試合。

「急にボールがデンマーク側のゴールに向かって転がってきたのであった。
誰もがニールス・ボーアが走り出してボールを掴むのを待ち受けていた。
しかし驚くべきことに彼はゴールのところに佇んだまま、
全く試合の成り行きに無関心で、むしろゴールポストの方にしきりに注意を向けていた。
もし、断固とした観衆の叫び声に気がつかなかったなら、ボールは確実にゴールに入っていただろう。試合後彼は、次のような訳のわからない言い訳をした。
急に数学のある問題が思い浮かんで、それを解くのに夢中になって、ついゴールポストの上で計算をやっていた、と」
(アブラハム・パイス『ニールス・ボーアの時代』より)



◆ボーアは論文の筆記は他の人にやってもらう慣習がありました。
その理由の一つは、ボーアの手書きがほとんど読めないから。

第二次大戦中、ボーアはニコラス・ベーカーと偽名を使っており、友人からはアンクル・ニックと呼ばれてました。

「ある日、彼の手紙が研究所に届けられた際に、その手紙にはいったい、ニールス・ボーアと署名されているのか、アンクル・ニックとされているのかをめぐって論争が持ち上がったのである」

(アブラハム・パイス『ニールス・ボーアの時代』より)

天才の話は豪快で面白いですね