最近、毎日がとても楽しい。
同期、先輩後輩、バイト先の人、もちろん家族とも仲良くやっていて、顔を合わせる度にイジってもらったりイジったり。
一緒にいるだけで笑いも絶えないし気も遣わなくて済む相手がたくさんいる。
練習も楽しい。漸くどの種目も引退前の体力レベルに戻りつつあるから、単純にやってるだけで楽しいし…なにより、3種目ともまだまだ伸ばせるって手応えを十分に感じてるから、毎日の成長が楽しみで仕方ない。このまま練習を続ければ自分はどこまで強くなれるのか、イメージしてるだけで楽しい。
夏休み予定がないー!とか騒いでる割にゼミ合宿も伊豆もキャンセルして峠行っちゃうような練習脳になってるから危ない(笑
でも練習が楽しすぎて、そもそも峠より行きたいと思えるイベントがあんまないってんだから、むしろ予定が埋まらなくて当然なんだろな^^;
ただ、ここまで楽しく充実した毎日を送ってると、逆に一種の後ろめたさにも似た感情が芽生えてくる。
会計士試験に向けて追い込みを掛けてた時は、今から振り返るとかなり壮絶だった。
朝から晩まで机に向かって、他人との関わりは僅か。気分転換といえばtwitterを眺めるくらいの毎日をひたすら機械のように繰り返すだけの毎日。勉強自体は好きだったけど、ほとんど日光すら浴びられないような生活も、体を動かすことができない生活も自分にはかなりのストレスだった。末期には重度の不眠症になったりもした。
でもそんな今からしたらゾッとするような生活でも、つい数ヶ月前の自分は当然のようにルーティーンとしてこなすことができていた。9月から徐々に勉強時間が延びていった結果、そんな生活がいつしかスタンダードになっていたからだ。
今の幸せいっぱいの生活から急にあの生活に戻っても、間違いなく持たないだろう。
ちょうどこの前まで運動してなかった自分が急にキロ4分でトラックを走れと言われても持たないように。
恵まれすぎていて、他人からしたら何でもないようなことでもひどく不幸に感じることをうちの親父は「幸せ病」と呼んでいたのを思い出した。
そう考えると身体と同じように、心にも毎日適度な負荷が掛かっている方がむしろ健康的なのかもしれない。
キロ4分が競技者から見たら遅くても、一般人から見たらめっちゃ速いのと同じように
同じような境遇を体験しても、不幸と捉えるかどうってことないと捉えるか、はたまた幸運と捉えるかは全部主観的かつ相対的なものさしによるわけだ。
だから、今が幸せだからってこれに慣れ過ぎると後が大変。
どんな清流も流れを止めれば淀むように、幸せというぬるま湯に漬かりすぎていると心が淀む。
辛いことにこそ積極的に立ち向かっていかなきゃ。
勉強、そろそろ再開するかなあ…