三田線の「志村坂上」駅から「西台」駅まではクネクネと直角カーブが連続します。都心の地下区間では、道路の下を通す都合上直角カーブは各所にありますが、「志村坂上」駅からは地上に出て高架線なのに、なぜ直角カーブが三つも続くのでしょう?
直角カーブが連続するワケは、路線の計画変更が繰り返されたからなのです。
当初、三田線は終点「志村」迄の路線で、駅は中山道上の都電「志村橋」電停近くの予定でした。(ここを「志村①」とする)
三田線は将来 川口市、浦和市、大宮市方面に延伸される計画だったので、荒川を地下でくぐる予定でした。しかし、そうすると「志村①」駅はかなり地下深くする必要があり、必然的に建設コストが高くなるのと 急勾配箇所に駅は作れないので、高架方式に変更されました。
ところが、中山道沿いは既に多くの建物が建っていて土地買収費用が高くなることが予想されたので、中山道から少し離れたルートで且つ都市計画の道路となるべく平行するように、「志村坂上」を出たら左へ大きくカーブしながら高架線となって「志村三丁目」へ。「志村三丁目」を出たら直角に右カーブして「蓮根」に。そして「蓮根」の北方 蓮根橋あたりに終点「志村」駅を建設することにしました。(ここを「志村②」とする)
これで一件落着かと思われたのですが、今度は「志村②」の西方の徳丸田圃エリアに大規模団地を建設する話が具体化し、そこから都心へのアクセスに三田線を活用するという構想が提案されました。
【昭和34年の高島平エリアの地図。左側のブルーが「高島平」駅の位置、右側のブルーが「西台」駅の位置。両駅の予定地あたりは田圃と空き地で、見事に何もない。】
一時は「蓮根」から「志村②」行きと. 団地方面行きを分岐させるという案もありましたが、埼玉方面への延伸が当面 具体化しそうになかったので、三田線は「蓮根」を出たら西に( 左に ) 直角にカーブして大規模団地方向へ向かい終点「志村③」に至ることになりました。
この辺りの経緯を図示すると次の様になります。
【黄緑線が建設された三田線。「西台」や車庫予定地とされた辺りから西側一帯は一面の田圃で、そこに高島平団地が建設された。】
「志村③」は、大規模団地の全体計画に合わせて西に400m動かされ「志村④」が昭和43年12月に開業した最初の区間の終点となりました。
以上のような経緯で「志村坂上」からひと駅ごとに直角カーブが三つ続くことになったのです。
これだけ計画変更が重ねられた「志村④」は、もはや志村という場所ではなくなっていましたが、大規模団地にはそれに相応しい名前が付けられる予定だったので、「志村」のままで開業しました。そして開業から8ヶ月後、晴れて大規模団地に合わせて「高島平」と改称されました。