前回の記事で、正義のことに関しては“あくまで、ものの見方”で解説すると言っていましたが、よく考えたらこれって私の思想なわけなんですよね。まぁそんなわけで、公約ぶち破って私思良論の方に書きますね♪(死
さてさて、みなさま。ぶしつけな質問をします。
正義って何ですか?
どうお思いでしょうか?
正義は「正しいこと」だ。
読んで字の如く、「正しい義(考え)」だろ。
というものが多いのではないでしょうか?
うん。正解です。
私自身も、大体そういう感じだと思っています。そして実際、そういうものなのです。
実に当たり前ですよね。
「正しいこと」「正しい考え」
ですが、ここで一つ考えてもらいたい。
果たして、いったい何が正しいのだろうか?
数学には、例えば、「7-3」と言う数式には「4」という正解があります。それは、「正しいこと」です。
では、数学で出る答えは、正義なのでしょうか?実に回りくどい質問だと思いますが、お付き合いください。
まぁ、おそらくそれは正義とはいえないでしょうね。数学の答えは確かに正しいことですが、正義と言うものは、信念です。信念のうちでも、一般的には「正しい信念」といわれていることでしょう。そして、信念とは、その人が信じている思想です。
では思想には、数学のような正解があるのでしょうか?
その答えはおそらく、“No”でしょう。
なぜNoなのか、それはおそらくみなさま分かっていらっしゃることかと思います。
【日本では、思想の自由というものが日本国憲法第19条で保障されています。ではなぜ、思想は自由に持っていいのか。それは、思想に正解なんてないから、でしょう。もちろん、「人殺しをしてもいい」なんていう思想は、本来持ってはいけません。それは、一般的に見たら「間違っているから」と言う理由付けがされるかもしれませんが、それは少し違います。そういう思想を持ってはいけない、その理由は、その思想が間違っているわけではなく、その思想によって行われる行為が、日本で制定している憲法や法律・条例などに違反するから、なのです。
思想は自由です。例え「人殺しをしていい」という思想であっても、その思想を持つことは構いません。ですが、その思想による行動で、法律を破るようなことは、決してしてはなりません。なので、法律を破るような行動をしてしまう思想を持ってはならない、という風に認識が変わったのです】
思想の自由なんて当たり前のことですが、そのことは分かっていてほしいのです。
【】内の話をまとめると、思想自体に正解や間違いはありません。例え、「人殺しをしていい」という思想を誰かが持っても、本当は駄目なことなのですが、その思想自体、間違っているとはいえません。思想は自由で、正解や間違いはないのですから。しかし、その「人殺しをしていい」という思想を持つことによって、実際に人殺しを行うことは、確実に間違った行動です。
話を戻しましょう。
正義は、正しい信念です。
信念は、信じる思想です。
これらより、正義とは「正しいと信じる思想」となります。
では、いったいなにが正しい思想なのでしょうか?
具体例を出しましょう。
正義の代名詞。そして「正義は必ず勝つ」で有名。
戦隊ヒーロー。
地球征服を企む悪者たちを、正義のヒーローたちがやっつける、というありきたりなストーリーの、あれです。
敵は悪。ヒーローは正義。実に単純明快ですね。しかしここで、あえて複雑にしてみましょう。視点をこちら側から、敵の方へと移します。
敵は悪です。しかしそれは、ヒーロー側、あるいは地球側からの視点で見たとき、です。
しかし、敵側からしたら、敵は「正しいと信じている思想(地球征服を行うこと)」を行使しているだけなのです。まさか、地球征服が悪いことだと敵側が認識しているがありませんから、それは断言できるでしょう。つまり、ヒーロー側からの悪は、敵側からの正義なんですね。
またそれと同様に、ヒーロー側からの正義は、敵側からすると悪なんです。なんか、矛盾してますよね。
ヒーロー側の正義=敵側の悪
ヒーロー側の悪 =敵側の正義
『正義は悪であって、悪は正義である』
正しいと信じている思想(正義)が、別の人からすると悪になる。
矛盾している言葉なんですが、これが事実なんです。
もう一度問いましょう。
正義って、なんですか?
あなたは、明確な答えを持っていますか?
私にとっての正義。それは、冒頭で、「正しいこと」「正しい考え」だと、大体そんな感じだと思っている、と言いました。ですが、厳密に言えばそれは違います。
正義。私は今、それについて、私にとっての明確な答えを持っています。それは、
『私自身が、これは信じれると思った考え』
です。ですがこれは、私の正義であって、これが「正義」の正解なのでは決してありません。
ですが、正義とは、『その人が正しいと信じれる思想』なのではないのでしょうか。私は、それが正解に一番近いものだと信じています。そう、まさにこの信じるという行為こそが正義なんですね。つまり、私の中での正義とは、信義なのです。
私は前回の記事で、“私思良論”には、私が正しいと思っていることを書くといいました。
今回はその第一発目だったのですが、どうだったでしょうか?面白くなかったでしょうか?当たり前すぎたでしょうか?
私は、思想に正解はないと思っています。もちろん、そのことは当たり前なんです。でも、その当たり前のことを当たり前で終わらせるのではなく、なんでそれが当たり前なのかというのを考えていければいいなと、心から思います。
今回は、これで終わりたいと思います。
私の“哲学者気取り”にお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは