昨年、世間をとある男が賑わせていた。
彼の名はHIKAKIN、日本を代表する有名なYouTuberである。
彼は辛く苦しい下積み時代に愛するラーメンを啜って過ごし、そこから大成し今に至ったという。
私は彼の視聴者ではないので詳しくは知らない。
詳しく知りたければ彼の動画を再生した方が何かとタメになるだろう。
そんな彼が世に放った品が"みそきん"と呼ばれるカップ麺だった。
同時発売の"みそきんメシ"と合わせ、日本各地で同時に発売されたこのレトルト食品は、瞬く間に店頭から姿を消し、代わりに高額転売や争いの火種となることすらあった。
人々はみそきんを求め街を彷徨っては醜くも買い占め、写真を撮ってはSNSにアップする。
彼らはみそきんを食べているのではない。
情報を食べているのだ。
ところで私も私の半径30cmという狭い界隈では無類のラーメン付きとして知られている。
三度の飯より麺が好き、むしろ麺以外が嫌いとも豪語する私が、この空前の人気商品を見逃すわけがなかった。
だが、買い逃してはいた。
私は、みそきんを一度も買えずにいたのだ。
しかし先日、HIKAKIN氏がある動画をアップした。
それはあのみそきんの再販を告知する内容であった。
人々は喜びに沸き立った。
勿論、人々には善悪の区別なく、素直なラーメン好きHIKAKIN好きも、転売をする悪い輩も皆両手をあげて喜んだ。
その群衆の中に私もいた。
「ラーメン好きとして又と無い好機を逃すわけにはいかぬ」と。
決戦は土曜日の朝10時であった。
土曜日の朝9時。
いつもならば日が空の頂点に君臨しても尚起きぬ体たらくが、珍しく早起きをしていた。
最早普段着と化したパジャマも脱ぎ、外出用の服に着替えている。
これは雨か槍でも降ろうかという奇跡だ。
この奇跡を起こしたのは他でもない"みそきん"の賜物だ。
私は近所のコンビニへと赴いた。
時刻は9時45分頃。
まだ店内を見回しても例の品は見当たらない。
店の壁際にずらりと並んだカップ麺コーナーにも、HIKAKIN氏が腕を組んで構えるパッケージは無く、まだフライングで売られている様子はない。
しかしながら、店の片隅には既に2、3組の親子連れが短かな列を成している。
イヤホンを外し会話を盗み聞けば「あと10分ちょいだから」と子をあやす。
違いない、彼らもまたみそきんを狙う同士にしてライバルなのだ。
店頭入荷数が未知なる状況下においては、前の家族に買い占められることも想定し得る。
そういう意味ではライバルと呼ぶのも宜なるかな、私にも取り分が回れと祈るしかない。
列の後ろに並んだ。
すると私の後ろに2人の子を連れた親子がやって来た。
無邪気にはしゃぐ子供を制しながら、彼らは私の後ろに並ぶ。
今度は別の親子連れが現れ、更に現れる。
おい待て、みそきんとはファミリー向け商品だったのか。
前から順にファミリー・ファミリー・独身男性・ファミリー・ファミリー・ファミリー……と列が形成されていくではないか。
この場において私は明らかに異常者。
ましてやHIKAKINのことは顔を存じ上げる程度で特別ファンでも無ければ関係者でもない薄い接点だ。
一方の子供連れは異口同音に「HIKAKINさんのラーメン楽しみだね」「みそきん買えるかな」と彼への想いを言葉にしている。
ここはラーメン愛好家の来るべき場所ではなかったのではないか……?
などと悶々としていたらいよいよ時計が10時を指し、店の奥から棚に積まれたみそきんとみそきんメシが運ばれてくる。
自然と巻き起こる歓声と拍手、なんだこれはパレードか。
そして鎮座した棚から順に順に品が取られていく。
私も個数制限に従い一つずつ購入することができたが、レジを終えて振り返る頃には運ばれた棚はファミリーに食い荒らされ残骸と化していた。
恐るべき、みそきんの力よ。
無事目当ての品を買えたというものの、私の心は弾まない。
目に浮かぶのはみそきんを求める家族の姿であった。
親の中には私と同じくらいの者もいたように見える。
彼らは幸せな家庭を築き、大切な子供のためにみそきんを並んで買っているのだ。
日々家庭のために働き、支え合い健やかに育む立派な家族のあり方。
一方の私はどうだ。
愛する者もなく、守るべきものも、譲れないものもない。
あるのは積もる借金と明日の不安ばかりである。
そんな人間がカップ麺のために浮かれて出歩いて良いのか。
今すぐ世のため人のために何かを成すべきであろう。
貴様はみそきんを買えずに顔を顰める子供の姿を見なかったのか。
そんな子供を見て啜るみそきんはどうだ。
美味だった。
また買いたい。