2月3日は節分である。古来は各季節の始まりの日の前日を示し、文字通り『季節を分ける』日を表すという。現代の2月頭を『節分』と呼ぶようになったとは実は江戸時代以降の習わしらしい。流石、ウィキペディアは何でも載っている。
節分といえば豆を撒いて鬼を払い、恵方巻きを無心でかぶりつくものだが、恵方巻きの起源は存外浅いらしい。諸説あるが、恵方巻きという名称が定着したのは1900年代後半で、一説では某コンビニエンスストアの店長が経営戦略のために広めたのが現代における恵方巻きの始まりだと言われているらしい。『魔を滅する』豆撒きと比べれば極めてちゃちな歴史に踊らされているものである。
とはいえ、御馳走を食らい、その上縁起も良いとなると乗っからない手はない。我が家では毎年手巻き寿司が食卓に並び、各人が思い思いに巻き寿司を作り一方を向いて食す。しかしながら、今年は運悪く節分の日が丁度アルバイトと重なった。家に帰れば夜23時半、あと30分で節分が終わるではないか。不幸にも母親は仮眠を取っているのか食卓にいないが、キッチンには恵方巻きの具材と思しき食材や海苔があり、冷や飯もある。これは酢飯なのかと匂ってみるが鼻詰まりが酷いのか判別は難しい。きっと放置されて匂いが飛んではいるが酢飯なのだろう。早速調理に取り掛かる。海苔を敷き、御飯を敷き、そこにマグロやサーモンに玉子などの具材を載せてクルッと巻けば完成。単純極まりないメニューである。
早速地図アプリで恵方を調べ、そちらを向いて食べ始めた。恵方巻きは無言で食さねば御利益が無いという。なので、何があっても喋ることができない。母親が寝室から起きてきても一切の挨拶なくひたむきに食す。一方キッチンでは当の母親が何か調理を始めた。キッチンの方角を向けないので何が行われているのか音と匂いでしか推測できないが、瓶が取り出されて炊飯器が開く音がした。匂うのは酢のような鼻に刺さる酸味のある臭いである。続けて質問が飛ぶ。「あれ、刺身はどこに行った?」。
おや、何かがおかしい。しかし決して振り向くことはできない。代わりに指で刺身の入っていたトレイを指し示す。すると耳を疑う言葉が飛んで来た。「え、もう巻き寿司を作ったの? せっかく酢飯を用意したのに」と。おや、何かがおかしい。さては私が今食らっているのは単なる白飯ではないのか。しかし恵方巻きは残り二口といったところ。喋るわけにはいかない。慌てて食らい飲み込んだ。そして恵方巻きを完食した第一声は次の通りだった。「え、そこにあったのは酢飯ではなかったの?」。母からは「うん」と手短な答えが飛ぶ。
どうやら今年の恵方巻きは不完全な手巻き寿司となったらしい。酢の味がなければ少し豪華なおにぎりと相違ない。つまり食したのはいわば『手巻きおにぎり』と呼ぶべき品である。これで御利益はあるのだろうか。無心で炒り豆を歳の倍ほどは貪りながら遠くを見つめていた。