このブログは(https://ameblo.jp/tschdshtr/entry-12421140731.html)に連なるタイトルを冠しているが、内容としては関連性は然程無いため安心してお読みいただきたい。Part1も改めて読んでいただければ幸いであるが。



 昨夜はこの冬における一つのピークとなったらしい。片田舎とはいえ滅多に雪の降らない我が田舎にも雪が降りしきり、やがて積もった。その日は朝から雪が降る恐れがあると予報されていたがために事前に心の準備と防寒を抜かりなく行っていたとはいえ、いざ雪が積もると体感の寒さはここ数日の比ではなく感じられる。
 幼い頃は雪が積もれば大喜びしてはしゃぎ回り、朝から公園で泥混じりの汚らしい雪玉を投げて雪合戦をしたものである。それが幾年もの時間を経て、気が付けばかのような枯れ具合である。今や寒さの象徴たる雪なんぞ中指を立てて御免である。幼く穢れなき雪の結晶の如き美しき心も、今やかつて投げつけた雪玉の如く汚れ混じりだ。
 しかし雪が積もる特別感は未だに心に残っていたらしい。道端に敷き詰められた白の絨毯が「私を踏んでみないか」と誘惑する。車のボンネットにふんわりと盛られた綿雪が「私に触れてみないか」と誘う。どうやら幼心は辛うじて生きていた。魔が差して積もった雪に手を伸ばしてみる。
 冷たい。それだけである。他に如何なる感想があろうか。触感なんぞあって無いようなものである。ただ指先を凍えさせただけの不毛な行為だ。これだから童心に間隙を許してはならない。冬は時折心踊れど結局は極寒を伴わなければ楽しめない。その極寒が何よりもの敵である。童心に一切の隙を許さずただ引き篭もる事こそが冬を乗り越えるための最重要課題である。まったく、だから冬は嫌いなのだ。