12時を過ぎた頃、昼飯を食べるかと台所を漁っているととある品を見つけた。それは未確認飛行物体の名を冠した某カップ焼きそばの『麻辣あんかけ風焼きそば』である。辛い料理が大して得意でないにもかかわらず辛いものが大好きな私からすれば名前を見ただけで垂涎ものである。早速調理に取り掛かった。熱湯を注いで4分後、通常カップ焼きそばなら捨てるべきお湯を生かしてとろみを作る。粉末やらソースをかけて混ぜると完成。あんかけ焼きそばとはいえ所詮はカップ焼きそば。笑うに笑えないレベルの料理下手たる私でも作れる簡単な料理である。
 さて一口食らうとまず麻辣の辣たる唐辛子の辛味がガツンと来る。これは美味い。次々と啜ると次第に舌が痺れる。そう、麻辣の麻、花椒の辛みである。最早辛味と言うよりは痛覚を鈍麻にされたような鈍く緩やかながらも確かな痺れが舌に残る。これが麻辣麺が麻辣麺たる所以だ。麺を全て平らげてからふと思う。「もう一杯食べたい」と。
 それからは何を考えても麻辣麺が頭を過ぎった。アルバイト中も麻辣麺を食べたいと考えてしまい、遂には勤務中にもかかわらず職場のパソコンを立ち上げて麻辣麺のレシピを覗く始末である。舌の痺れは取れてからも、頭は麻痺したままである。これを中毒と呼ぶのだろう。

 ところでだ。花椒、つまりは山椒だが、記憶が正しければ幼少期は滅多に食わない代物だった。そして、高校生の頃かに山椒が強く効いた料理を食したところ、舌を出して露骨に嫌がる表情をした記憶があるのだ。かつてはこの舌に残る味覚と呼ぶには些か鈍麻な痺れを忌避していたような気がする。なのに、何故22歳になった今は中毒的なまでに山椒の辛味を身体が求めているのか。
 という話を職場でしたところ次のような返答があった。「味覚が大人になったんですよ」と。これが大人の階段を登ったということか。昔から忌避し続け、最早食わず嫌いとなった食品も、今なら食べられるのかもしれない。大人になることは悲しいことであるが、一方では趣味嗜好の幅が広がるという意味で喜ばしいことなのかもしれない。
 今日はとびっきり辛いカップ麺を買おう。そう決めながら少し大人になった私はしみじみとブログを書くのだった。