我が妹が学校行事の一つであるスキー教室のために山奥へと旅立った。二泊三日だったかそのくらい長期滞在し、極寒の雪山にて坂道を下って登っての不毛な運動をさせられるという。兄とまるで瓜二つなように身に染みた運動嫌いが発症し、出発の一週間前から彼女は「行きたくない」「雪崩が起きて中止にならないかな」などとテンションの氷点下を記録していた。そんな我が妹も無事インフルエンザやら風邪やらの影響を受けず無事に旅立ったらしい。
 ところで、スキー教室と聞くと常々思い出されることがある。最早十八番のように使い古したネタのため知り合い諸君は既知の話であり、このブログ内でも一度話した気がしなくもないのだが容赦願いたい。この日を逃していつ話すネタなのだ。
 時は中学一年生の冬、丁度私がスキー教室に行く前日である。私も妹と似たように運動嫌いを発症しながらも荷造りを終えた夜、家族と共にドラマを見ていた。その時代に人気の医療ドラマである。主人公の救急救命医は通報を受けドクターヘリにて現場に駆けつけた。そこは都会の駅の階段である。救急救命医達が到着した現場には男女が三人、なんとスキー板に串刺しになって倒れていた。そう、スキー板である。目撃者の証言によれば、どうやら階段で将棋倒しになり、その結果、不運にも誰かが手にしていたスキー板に刺さってしまったという。翌日の昼にはスキー板を装着しゲレンデを滑走している私は激しく身震いをした。スキー板とはかくも恐ろしき物体なのか。
 怯える私を他所にドラマは進む。主人公達による緊急手術が始まり、三人の脇腹に刺さったスキー板を取り外す作業が行われる。止まらない出血。しかも、自体は最悪の方向に転がり、三人いるうちの二人、どちらかの男を犠牲にしなければならないことになってしまう。しかも二人はそれぞれもう一人の女と恋仲めいた良い関係を築いており、そこから視聴者の涙腺を揺さぶる回想シーンに入る。そして回想シーンを経て片方が死を決意。一人が命を落とすことになった。男の尊い犠牲に視聴者の涙腺は感涙の瀑布なのだろうが、スキー教室を翌日に控えた私は恐怖に涙腺が緩む始末だ。スキー板が一人の命を奪った。その(フィクション内の)事実に恐れ慄き、スキーに行くことが怖くて怖くて堪らない。今からでもキャンセルの電話やら手続きを済ませて翌日からは布団に篭っていたい程には恐怖していた。
 しかし、そんな私も「ドラマは所詮作り話だから」といった親の心無い叱咤激励に無理矢理背中を押され、スキー教室へと収監されたのだった。勿論、この教室にてスキー板が死因となって命を落とした者は一人としておらず、皆が五体満足で帰還したはずである。それでも当時の私にとってはスキー教室を終えた後もスキー板と件のドラマがトラウマとして脳裏に刷り込まれており、未だに軽い抵抗を覚えている。それでも笑い話として昇華できるくらいには懐かしい話だ。
 今スキーに行っても尚、当時のように足が竦むのだろうか。或いは、このトラウマはとうの昔に克服されているかもしれない。だが、いずれにせよスキーは勘弁である。雪山を下って登るだけの不毛な運動に何の価値があるのか。それに、スキー板は凶器となりうるのだ。スキーに誘われてもこちらから願い下げである。