カップ麺とは人が作りし究極の簡易食である。手順通りに粉末スープやかやくを入れ、お湯を注ぎ、定められた時間だけ待ち、場合によっては追って液体スープを入れるだけで美味なる麺が食べられるのである。最早これ程までにシンプルかつ簡単な工程に一切の失敗は許されないはずだ。カップ麺を作ることに失敗すれば「カップ麺すら作ることができない男」という屈辱に塗れたレッテルをこれでもかと全身に貼り付けられる。耐え難き恥辱である。
昨日、カップうどんを作ろうとした。蓋を半開きにし粉末スープとかやくの袋を取り出す。そして、まず粉末スープの袋を切り口に沿って開き、乾麺の上にかける。次はかやくである。袋上部にある切り込みから袋を破ろうとする、が上手く開かない。まるで布を噛んで動かないファスナーのようにビニールが頑なに切れようとしないのだ。これには流石の私も頭に血が上る。力任せに袋を破った。瞬間、切り口は袈裟斬りが如く袋を斜めに分断。勢いよく開いた衝撃で乾燥したかやくが爆発して散らばる。更に、力任せに袋を引っ張った手はブレーキが掛かることなく空をフルスイング、慣性のままに振り抜かれた結果傍に置いていたカップ麺を直撃した。弾みでシンクから落ちたカップは真っ逆さまに床に叩きつけられる。湯を吸う前の麺は砕け、粉末スープが無慈悲に床に撒き散らされる。
以上が私が体験した世にも奇妙な刹那の出来事である。シンクに散らばったかやくと床に撒き散らされた粉末スープ、逆さまになったカップ麺を前に呆然と立ち尽くし言葉が出ない。虚しく湯が沸く音がするだけである。虚空を見つめながらカップを拾い上げ、湯を注いだ。
どうやら私は「カップ麺すら満足に作れない男」だったようだ。どんな拷問よりも耐え難き恥辱であるが、これはレッテルでなく事実。甘んじて受け入れざるを得ない。
湯を注いでから5分、すっかり味の薄くなったであろう麺を啜る。何故だろう、いつもより塩っぱく感じられた。