これは禁断の技である。この技を一度用いれば、二度とかつての暮らしに戻れなくなる。正しく禁じられた術。だが、私の心は悪魔の誘惑に耐えることが出来ず、とうとう封じられた禁断の門を開いてしまった。門の外にはもう帰れない。昨日までの私はもう此処には居ないのだ。

 風呂場にスマートフォンを持ち込んでしまった。

 勿論、精密機器たるスマートフォンに何も手を施さず裸のまま湯気が籠り湯水が跳ねる風呂場に持ち込むなんてことは無い。ジップロックに入れて厳重に封をするのだ。するとビニール越しに画面を操作することはできる上に音も多少は小さくなるものの特に支障無く聞くこともできる。水滴がビニールに落ちると誤操作の原因となりやすいのが玉に瑕だが、浴場で音楽を楽しむ目的で持ち込んだため多少の誤操作は何ら問題ない。むしろ湯船に浸かりながら音楽に浸ることができるのは文明開化にも等しき革命だ。私の入浴時間には満開の花が開いた。
 導入を決意した時はジップロックの防水性に懐疑的だった。封ができるとはいえただのビニール袋である。頭を洗っている隙に水が袋の中へ浸入するのではないか。それに湯気やら温度差による結露やらも心配され、導入するまでには長い脳内会議が行われた。しかし、既に風呂場にスマートフォンを持ち込みラジオやらを楽しんでいる母の声も参考にし、先日遂に持ち込むことと相成ったのだ。
 感想としては以下の一言に尽きる。

「もう音楽の無い風呂に入れない」
 
 中毒的な音楽愛好家たる私にとって、かつての水音以外の一切が聞こえない入浴は苦痛だった。特に冬は、寒さから逃げて暖まりたいという欲と一刻も早く風呂から上がって音楽を聴きたいという相反する欲が衝突した結果、湯船に浸かりながら大声で歌うという結論に至ったこともあった。きっと近隣住人の耳には私の美声が届いており、町内にディーヴォがいると話題騒然としていたかもしれない。
 だが、そんな生活ともお別れである。これまでは雫の落ちる音だけが唯一の音楽だった風呂場にはジャンルを問わず様々な音楽が響き渡り、浴槽にて寛ぐ私を耳からも蕩けさせる。風呂における唯一つの不満すら克服してしまえば最早浴場に一切の死角はない。入浴時間は目に見えて伸び、やがて一日の大半を浴場にて過ごすことになるかもしれない。最終的に私の生活は風呂場と布団の往復のみで完結するかもしれないが、これもまた一興であろう。温もりに包まれながら一生を過ごすなら本望である。
 かくして私の生活は一変した。もう風呂場にスマートフォンを持ち込まなかった頃の私は死んだ。今此処には風呂場で音楽を垂れ流しながら蕩け顔で心も身体も温もっている男しかいない。不可逆的な革命によってもたらされた恩恵はこのブログにとっても実りあるものとなるであろう。