ここ数年てんで映画とは無縁だった私が、とあるきっかけから洋画を観にいくことになった。というのも、ここしばらくネットやラジオで話題になっており、母も同じく気になっていたので誘われた次第だ。母の一言さえなければ「時間があったら観に行きたいなぁ」などとぼやきながらも、結局は映画館に足を運ぶことなく上映終了を迎え、いつ来るかも分からない地上波放送を待ちながらやがて映画の存在すら忘れていただろう。そうなったであろう未来を想像すると、今回は何と幸運だったのだろう。母と二人で夜の映画館へと向かった。
この映画は掻い摘んで説明するとかの有名なロックバンド"Queen"のボーカル、フレディ・マーキュリーの生涯を辿った映画である。故に劇中には様々な楽曲が随所に登場し、誰もが知るあの曲や一度は耳にしたことがあるであろうあの曲も流れるという。そのため、一部の映画館では普段は御法度の声出しや掛け声なども可能な応援上映が行われており、二人はその応援上映を目当てにレイトショーに滑り込んだ。
さて劇場に入ると巨大なスクリーンとずらりと並んだ座席の割に人が少ない。出欠を取らない祝日の講義よりも人が少ないではないか。座席列の中央を堂々と陣取るも、並びに他の人が現れない。結局、閑古鳥が寂しげに鳴きながら上映は始まった。
Queenと言えば今や古典と呼ばれても致し方ない過去のバンドではあるが、このバンドが世界に与えた影響は凄まじいものがある。ほとんど洋楽に無縁な私でも馴染みのある楽曲はいくつもある。特に足踏みと手拍子が特徴のあの名曲は、今でも大衆が自然とビートを刻みたくなる、正しく応援上映にピッタリな一曲だ。映画も中盤に差し掛かり、誰もが知るあのイントロが流れる。しかし、誰も足を鳴らさない。ここは平時は御法度とされる足踏みも許可をされた特別な空間なのだ。にもかかわらず歌う人もいなければ手拍子一つとして聞こえない。あまりの静けさに足踏みと手拍子目当てに応援上映を選んだ親子すら縮こまってスクリーンを眺める。物語がクライマックスに差し掛かり怒涛の名曲ラッシュを畳み掛けられても閑散とした場内は空気一つ揺れない程に落ち着いている。応援上映が何たるかを誰も知らないのか。最後まで誰も物音を立てることなく映画は終了した。勿論、最後に拍手で英語を讃えるような人もいなかった。
応援上映とは何だったのか。応援上映の定義を疑いたくなる寂しげな上映だった。大都会の昼頃ならまだ活発な応援が成されたのだろうか。勇気ある何者かが曲に合わせて歌えば、自然と一人また一人と歌声が広がり、最終的には大合唱となったのかもしれない。ただ、閑古鳥鳴く劇場には平穏を打ち破る勇者はいなかった。誰も彼も声を上げることなく萎縮してしまい、最終的に普通の上映と何ら変わりない形で終わってしまったのは残念で仕方ない。もしもう一度見る機会があれば皆で肩を組みながら大団円を迎えるような活気溢れる応援上映に出会いたいものである。
何故私が平穏を打ち破る勇者として名乗りを上げなかったのか? 決まっているであろう。私はQueenをそれほど詳しく知らないからだ。にわか風情が声を上げるにあの環境は過酷すぎた。