私だけはやらないと思っていた。故に、備える必要もないと考えていた。だが、それは全て慢心だった。
私はやってしまった。
スマホの画面が割れた。早朝の冷えた石畳にストンと落下した。折りたたみ式のカバーは開いていたため何の意味も為さなかった。衝撃を確認し1秒も置かずに拾い上げたが、無残にも左上を中心としてヒビが方々に巡っていた。えも言えぬ無力感に苛まれつつ、私はスクリーンショットを撮っていた。深い哀しみに襲われても人は強欲である。これをネタにツイッターで昇華しようというのである。だが、賢明な読者諸君は既にお気づきだろう。スマホのヒビはスクリーンショットに写らない。当然である。ハードの傷はソフトを使って納めることは出来ない。ただ、疲弊しきった精神では当然の摂理すら理解しきれなかったのだ。ふと涙を落として「何やってんだよバカ」とぼやくと、私はスマホを鞄にしまった。
「スマホはもはや俺の臓器」とは言い得て妙である。落下の瞬間には私の心臓も止まるほどの衝撃を覚えたし、傷まみれのスマホを見れば私の心も衰弱して空虚すら覚える。それでもスマホは決して私の臓器ではないわけで、いくらスマートフォンが傷だらけであれど、心臓は脈を打つ。人間はスマートフォンごときに命を左右されるほど弱い生き物ではない。それを証明しようではないか。
第一、画面は傷だらけとはいえ動作に異常はない。ヒビの爆心地たる左上も指感触に棘はあるものの正常に動く。まだ使えるだけ幸せではないか! 私はなんと恵まれている。むしろこのヒビがきっかけで何かが変わるかもしれない。風吹けば桶屋が儲かるように、スマホ落とせば世界が変わるやもしれぬ。バタフライエフェクトというやつだ。前向きに捉えようではないか。
賢明な読者諸君は既にお気づきだろう。この男はスマートフォンを落とした哀しみを、このように己を奮起させる大袈裟な文を書くことで昇華させようとしているのである。こうでもしないと心に入ったヒビはすぐには癒えないだろう。
私はやってしまった。
スマホの画面が割れた。早朝の冷えた石畳にストンと落下した。折りたたみ式のカバーは開いていたため何の意味も為さなかった。衝撃を確認し1秒も置かずに拾い上げたが、無残にも左上を中心としてヒビが方々に巡っていた。えも言えぬ無力感に苛まれつつ、私はスクリーンショットを撮っていた。深い哀しみに襲われても人は強欲である。これをネタにツイッターで昇華しようというのである。だが、賢明な読者諸君は既にお気づきだろう。スマホのヒビはスクリーンショットに写らない。当然である。ハードの傷はソフトを使って納めることは出来ない。ただ、疲弊しきった精神では当然の摂理すら理解しきれなかったのだ。ふと涙を落として「何やってんだよバカ」とぼやくと、私はスマホを鞄にしまった。
「スマホはもはや俺の臓器」とは言い得て妙である。落下の瞬間には私の心臓も止まるほどの衝撃を覚えたし、傷まみれのスマホを見れば私の心も衰弱して空虚すら覚える。それでもスマホは決して私の臓器ではないわけで、いくらスマートフォンが傷だらけであれど、心臓は脈を打つ。人間はスマートフォンごときに命を左右されるほど弱い生き物ではない。それを証明しようではないか。
第一、画面は傷だらけとはいえ動作に異常はない。ヒビの爆心地たる左上も指感触に棘はあるものの正常に動く。まだ使えるだけ幸せではないか! 私はなんと恵まれている。むしろこのヒビがきっかけで何かが変わるかもしれない。風吹けば桶屋が儲かるように、スマホ落とせば世界が変わるやもしれぬ。バタフライエフェクトというやつだ。前向きに捉えようではないか。
賢明な読者諸君は既にお気づきだろう。この男はスマートフォンを落とした哀しみを、このように己を奮起させる大袈裟な文を書くことで昇華させようとしているのである。こうでもしないと心に入ったヒビはすぐには癒えないだろう。