法律をまとめてみましょう。

 

時代はだいたい古い順からまとまっています。

 

十二表法
前451年、古代ローマで慣習法を初めて成文法にしたもの。12枚の板に書かれていたのでその名がついた。

 

リキニウス・セクステウス法
前367年、古代ローマでコンスルの一人を平民から出すことなどを定めた法律。

 

ホルテンシウス法
前287年、古代ローマで平民会の決議を国法とすることを定めた法律。

 

ローマ法
共和制時代に始まるローマ法の体系で、後の法律にも大きな影響を与える。ユスティニアヌスがトリボニアヌスに定めさせた『ローマ法大全』が有名。

 

均輸法
漢の武帝の財政安定策の一つ。地方の余剰物資を高のさせ、不足地に転売して物価の均等化を図るとともに政府の収入とした。桑弘羊の政策。

 

平準法
漢の武帝の財政安定策の一つ。ある商品の価格が下がった時に政府が買い取り、その価格が上がった時に売却して物価安定を図るとともに、利益を国家財源に充てた。均輸法と同じく桑弘羊の政策。

 

占田・課田法
西晋で行われた政策で、税を集めることを目的としたもの。

 

土断法
南朝の東晋、宋で行われた戸籍登録法。現住地で戸籍に登録し、課税すること。日本で言う班田収授法にあたる。

 

両税法
780年、唐の宰相楊炎が皇帝の徳宗に建言して成立した、租庸調制に代わる唐の中期以降の税制のこと。現物納・土地税。

 

市易法  
政府が中小商人に資金を貸し付け、物資を購入させ、値が上がったときに売り出させて利益を還元させる方式。それまで物資を独占して価格を操っていた大商人を抑え、中小商人の保護と物価の安定をねらったもの。宋(北宋)の王安石が行った。

 

一条鞭法
明代の銀の流通に伴って始まった税制。唐以来の両税法の現物納と労役の二本立ての税制を、いずれも銀納として税収を確保しようとした。清の地丁銀の前提となる。

 

首長法
1534年、ヘンリ8世の時に制定された、イギリスの国王を教会の首長とする規定。いったんメアリ1世のときに撤回されたが、エリザベス1世のときに復活した。

 

審査法
王政復古期の1673年、イギリス議会が制定した国教徒以外を官職に就けないという法律。カトリック復活策を策すチャールズ2世に対抗したもの。同時にカトリック以外の非国教徒も排除された。

 

寛容法
1689年、イギリス議会で制定された非国教徒プロテスタントの信仰の自由を認めた法令。

 

印紙法
1765年、イギリスが北米植民地に対して出した重商主義政策。アメリカ独立戦争につながる。

 

茶法
1773年に制定された、東インド会社を救済するため、会社手持ちの茶を、イギリス仲買人を経ずに植民地に直売し(密輸茶より安い価格で販売できるようにし)、植民地の茶市場の独占を認めた。

 

航海法廃止
1849年、イギリスへの輸入を規制していた航海法を廃止し、自由貿易主義を拡大した。
1849年、ホイッグ党のラッセル内閣で、自由貿易主義政策の一環として航海法が廃止された。航海法(航海条令)はピューリタン革命の時、クロムウェルが1651年に制定したもので、イギリスに運ばれるヨーロッパ以外の産物、商品はすべてイギリスの船で運ばれること、またヨーロッパの産物、商品はイギリス船かその産出国の船で運ばれることを定めた。

 

社会主義者鎮圧法
1878年、ドイツ帝国のビスマルクが制定した。いわばムチの政策として制定した。
ドイツ帝国のビスマルク政府が社会主義運動に対する抑圧策として1878年に制定した法律で、正確には「社会民主主義の公安を害する恐れのある動きに対する法律」。一般に「社会主義者鎮圧法」と言われる。

 

カンザス・ネブラスカ法
アメリカ合衆国で、1854年、ミズーリ協定を否定し、準州が州昇格の際に自由州か奴隷州かを住民が選択できるとした。民主党の主張に従い、奴隷制拡大につながる同法に対し、反対派は共和党を結成、南北対立激化の契機の一つとなった。

 

ホームステッド法
1862年、アメリカ大統領リンカンが出した西部の農民創出法。自営農地法とも言う。21歳以上の男女の合衆国市民に公有地を貸与し、5年以上開拓に従事すれば、160エーカー(約65ヘクタール)の土地を無償で与えるというもの。

 

国民保険法

1911年、イギリスの自由党アスキス内閣が成立させた社会保障制度。1911年、イギリスの自由党のアスキス内閣で、ロイド=ジョージ蔵相の提案で成立した。ドイツのビスマルクの社会政策で実施した社会保険制度をもとに、健康保険と失業保険を含む社会保険を実現させた。

 

反トラスト法/シャーマン反トラスト法/クレイトン反トラスト法
19世紀末アメリカで始まる独占資本の弊害を防止するための立法措置。19世紀後半の独占資本の急激な形成に対し、それが自由主義経済の減速である公正な自由競争を阻害し、消費者の利益が損なわれることを危惧する声が強まった。特にアメリカ合衆国においては独占の形成が急激かつ巨大であったので、その弊害を防止する必要が生じ、1890年にシャーマン反トラスト法が制定された。

 

禁酒法
1920年代のアメリカで実施された、酒類の製造・販売・流通を禁止制限する法律。1933年まで存続した。アメリカ合衆国の戦間期に施行された、酒類の製造販売を禁止、規制する法律。

 

移民法
1924年にアメリカで制定された移民制限法。南・東欧系を制限し、日本人移民は禁止した。第一次世界大戦後、アメリカ合衆国の戦間期では国際連盟への不参加に見られるような孤立主義が復活し、外国の影響からアメリカを守るという排外感情が強まった。それは外国からの移民を制限するという政策となって現れた。

 

ローラット法
第一次世界大戦後後の1919年に施行されたイギリスによるインド民族運動弾圧法。1919年にイギリスがインドで制定した、逮捕状なしに逮捕し、裁判なしに投獄できる権限をインド総督に与えた法律で緊急刑事特別法。

 

スムート=ホーレー法
フーヴァー政権下の恐慌対策で、高関税によって国内産業を保護しようとした政策。

 

グラス=スティーガル法
アメリカのF=ローズヴェルト大統領の世界恐慌の克服を目指したニューディール政策の一環。銀行法とも言われる金融活動を規制する法律。

 

武器貸与法
1941年3月、F=ローズヴェルト大統領のとき、アメリカ議会が第二次世界大戦中のイギリスなど連合国への武器貸与を認めた。1941年3月、イギリスのチャーチル首相の要請を受けたフランクリン=ローズヴェルト大統領の下でアメリカ議会で制定された、第二次世界大戦時の連合国への軍事援助を定めたもの。

 

タフト・ハートレー法
1947年、アメリカ議会で成立した法律。ニューディール時に制定されたワグナー法を改訂し、労働運動を制限した。

 

公民権法
1960年代のアメリカ黒人の公民権運動が盛り上がり、それによって64年に制定された選挙権など差別を無くす立法。