大問4です。日本史と近いものもあったので、17/25でした。もっともっと欲しい。
a ヒッタイトはオリエントの国なので、モンゴルには攻撃していかない。「海の民」により滅亡。×
b 新兵器としてタンク、毒ガス、飛行機などが使用された。○
答⇒③
①テル=エル=アマルナに遷都したのはアメンホテプ4世なので×。
②親魏倭王の称号を卑弥呼がもらったのは北魏ではなく、曹操が建国した魏なので×。
③イザベル(イサベル・イザベラ)女王が援助したのはコロンブスであり、カブラルではない。なお、カブラルは「1500年ブラジルについた」という表記が多いが、実際はバスコ・ダ・ガマがなし得なかったインドへの武力行使を成し遂げた人物である。
答⇒④
④1714年、アン女王はスペイン継承戦争に勝利し、大ブリテンの女王となった。後継ぎがいなかったためハノーヴァー朝となった。
①リュクルゴスは「リュクルゴスの制」として有名なスパルタの政治家。アテネではない。ペリクレスなら民主制の成立なので○だが、ペリクレス時代は前451あたりで、オリンピアの祭典は諸書物などによると紀元前8世紀までさかのぼるので、時代が違う。
②トニー・ブレアはイギリスの首相。1980年に「強いアメリカ」を標榜してカーターを破ったのはレーガン(元俳優)
③慶州ではなく京城。慶州は新羅の首都であった金城(クムソン)。
答⇒④
下線部④は中国。製紙法は「タラス河畔の戦い」で中国からイスラームに伝えられたものであるが、このとき中国(唐)の相手となったのはササン朝ペルシャである。よって×。
答⇒④
a:コロッセウムはアテネに作られたもの。
b:球戯場の誓いは、テニスコートの誓いとも呼ばれ、1789年に、フランス革命の前段階をなしたもの。シェイエスらが中心となって国民議会を憲法制定まで解散しないことを誓ったものである。ネーデルランドは現在のオランダであり、フランスではない。
答⇒④
33は完全にわかったので割愛。34は間違ったので掲載。
宋学は別名「朱子学」。理気二元論などを唱えた。○。
bのアリスタルコスはピタゴラスと同じ出身の自然学者。地動説を唱えたため、後世の学者からは「古代のコペルニクス」と呼ばれる。しかしローマのプトレマイオスが天動説に戻してしまった。なお、コペルニクスはアリスタルコスの存在を知らなかったそうだ。×。
答⇒②
暦の問題。
日本史でも授時暦、宣明暦などが出るが、世界史では貞享暦のもとになった授時暦が頻出。郭守敬の授時暦は明の大統暦に受け継がれ、明の時代には徐光啓とアダム・シャールが崇禎暦書を作成。清朝がそれをもとに時憲暦を施行し、辛亥革命で現行の暦に転換した。これは東大の2007年の入試にそのまま出ている。顧炎武は古典の解釈を行った儒学者。