遠山左衛門尉景元。

 

 

遠山景晋(かげくに)の息子。

※実は史料は圧倒的に父・景晋のほうが多い。

全身の桜吹雪刺青が有名で、テレビドラマでは高橋英樹(今や高橋真麻の父と言った方が通りがいいか)が名演技を見せた。(ほんとうはちょこっとだけだったみたいだけど。)

しかし、実は彼はつい最近まで生まれた年すらわかっていなかった。

 

南町奉行として有名であるが、当時は北町奉行、中町奉行も歴任していた。

北町奉行は大岡忠相が有名であるが、時代が違う。大岡忠相は吉宗の時代。

 

「老中にたてついた奉行」として有名であるが、名門の出でありながら最初はその窮屈さでてきとーに過ごしていたらしい。長屋に入り浸り、酒におぼれ、市井の人々と交流したこともあったようだ。これがのちの「遠山の金さん」のモデルになっていると考えられている。

 

なお、現在はおそらく寛政五年(1793年)生まれであることがわかっている。亡くなったのはペリー来航の三年前で、これは結構昔から判明していた。62歳の生涯を彼はどう過ごしたのか。

 

景元は当時の老中で出世欲がすごく強かった浜松出身の水野忠邦と対立する。水野の片腕は最近見直されては来ているもののまだ悪人の印象が強い「妖怪」こと甲斐守・鳥居耀造(耀・甲斐でようかい)である。水野は風紀が乱れるのを恐れ、歌舞伎小屋を取り潰す考えを見せる。これに対して「浅草」という土地を提案したのが景元であった。かくして現在の浅草は歌舞伎のメッカとなったのである。

 

当時、「奉行」は東京都庁のトップと最高裁判所長官と警視庁長官を兼任しているみたいなもので、当時景元は北町奉行であった。南町奉行はカタブツで有名な矢部定謙(さだのり)。ワイロを送っても言うことを聞かない定謙に対ししびれを切らした鳥居は、無実の罪をでっちあげて矢部を逮捕し、矢部は抗議の餓死をする。そして鳥居はそれに代わって南町奉行となり、スパイを送り込んで幕府の悪口を引出しとらえるというまるで鎌倉時代末期のような凄惨たる時代になった。

ただ、水野の天保の改革が失敗し、鳥居も失脚したので、景元はそのまま北町・中町・南町を輪番で歴任し、名奉行とうたわれた。

 

なお、事実かどうかは不明だが、このようなエピソードがある。

若いころブイブイ言わせて肩で風を切って歩いていた景元は、道の向こうから歩いてくる小太りな男にガンをつけられる。すれ違いざまに肩をぶつけられて、若かった景元は大ゲンカに。腕っぷしには自信があった景元だったが、その身元不明な男にボコボコにされてしまった。

その男こそ、当時「江戸最強・男谷信友の息子」「勝海舟の父であり師匠」「幕末最強のケンカ屋」勝小吉である。

 

荒俣弘「帝都物語」の前日譚ともいえる「帝都幻談」の主人公の一人。

平賀源内、平田篤胤、藤田東湖、田中久重、阿弖流為、平将門などが登場する。